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探偵の知識

正確な事実の認定を目標とした刑事裁判手続の構成当事者追行主義

2025年11月19日

『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日
ISBNISBN978-4-641-13968-8

(1) 以上のように証拠に基づく正確な事実の認定は、刑事手続の全体を通じた到達目標であるが、この目標を達成するために、どのような方式・形態の刑事裁判手続を設計するかについては、唯一絶対の正しい在り方が決まっているわけではない。歴史的にもまた現代文明諸国の刑事裁判手続を比較しても、正確な事実の認定という共通の目的に向けて設計された刑事裁判制度は多様であ
る。
わが国の現行刑事訴訟法の刑事裁判手続は、「事者追行主義」という手続の基本的構成原理(訴訟の「基本的構造」と称される。この用語は最高裁判所が法解釈を説示する際に用いたものである。例えば、訴因変更命令の効力に関する最大判和
40・4・28 刑集19巻3号270頁)に基づいて造型されている。裁判手続は、事実を認定し判決をする裁判所と事者との活動によって進行してゆく。刑事裁判手続の当事者は、検察官と被告人である。なお被告人の補助者として弁護人が活動する。事者追行主義とは、裁判手続の進行について、裁判所と当事者との関係に着目したとき、裁判所ではなく当事者が手続行の主導権を持つ方式のことを意味する。これに対して、裁判所が主導権を持つ方式を「職権(無理)主義」という。例えば、現在のヨーロッパ大陸法圏諸国(ドイツ。フランス等)や、かつてドイツ法の強い響のもとに制定されたわが国の旧刑事訴訟法(1923[大正1!年制定)は、職権主義の方式を採用している。これに対し、現行刑事訴訟法や現在のアングロ=アメリカ法圏に属する諸国の刑事裁判手続
は、当事者追行主義の方式を採る。
(2)当事者追行主義方式の具体的内容、すなわち裁判所ではなく当事者が手続行の主導権を持つというのは、大要、そのようなことを意味している。
第一、刑事裁判における審理・判決の対象を設定する権限は、裁判所ではな
<当事者として刑事訴追を遂行する検察官にあること。したがって、裁判所は、原則として、当事者たる検察官が起訴状に具体的に記載して主張する罪となるべき事実(これを「公訴事実」すなわち「訴因」という。法 256条2項・3項)についてのみ、審理し判決する権限と義務を有する。裁判所は検察官の主張していない事実について審理・判決することはできない。すなわち審理の過程で、検察官の主張とは異なった事実が認定されると見込まれる場合であっても、裁判所は、検察官が自ら審理・判決の対象を当初の設定から変更して主張しない限り(これを「訴因の変更」という。法312条1項)、それについて審理・判決することはできない。そして審理・判決の対象の変更は、当事者たる検察官の権限であり、裁判所は、原則として、これに介入しない。
第二、公判手続の中心をなす証拠調べを請する権限は、原則として、当事者たる検察官、被告人または弁護人にあること(法298条1項)。したがって、裁判所は、原則として、事者が取調べを請求しない証拠について自ら積極的に証拠調べを行う訴訟法上の義務を負うことはない。
例えば、検察官が起訴状に記載して有罪判決を求める公訴事実が、「被告人Xは〇月〇日京都市左京区吉田町3番地のV宅に侵入しV所有のダイヤモンド指輪1個を窃取したものである」という住居侵入・窃盗罪を構成する事実であったとき、裁判所はこのような事実が事者の取調べ請求する証拠から認定できるかどうかについてのみ審理し判決することができる。仮に、審理の結果、Xが直接♥の指輪を窃取したのではなく、同日頃V宅付近の路上でYから盗品であると知りながらその指輪を買い受けたという事実が明らかになった場合想定すると、裁判所は、検察官が起訴状の公訴事実の記載をこのような事実の記載に変更しない限り、盗品関与の罪で有罪判決をすることはできず、もし検察官の主張が住居侵入・窃盗のままであれば、そのような事実は認められないのであるから無罪の判決をしなければならないのである。
また、裁判所が審理の過程で、XがV宅に侵入したという検察官の主張を裏付ける証拠が不十分であると考えても、自らすすんで侵入の事実を裏付ける可能性のある証拠をさらに取り調べる義務はない。その結果、住居侵入・窃盗について無罪判決をしたとしても、上訴審で第1審裁判所が証拠を取り調べる訴訟法上の義務を尽くさなかったから不当であるとされることは、原則としてないのである。
* これに対して、職権審理主義の方式においては、当事者ではなく裁判所が手続送行の主導権を持ち、次のような職務権限と責務を果たすことになる。
第一,裁判所は、当事者たる検察官の主張にかかわらず、これと同一性が認められる審理・判決の対象を自ら設定することができ、証拠により証明された事実に基づいて、審理・判決する権限と義務を有する。
第二、裁判所は、当事者が取調べを請求しない証拠についても。自ら証拠調べを行う権限と義務を有する。
(3) このような、当事者追行主義方式の背後にある目標は、裁判所を公平中立の判断者に純化することにある。第一の審理・判決の対象設定に関する検察官の権限は、裁判所の活動を、当事者たる検察官の主張内容である「公訴事実」が証拠により証明されているかという判断作用に限定することによって、裁判所の活動がそれ以外の「事実」探究に向かうことを鋭く制限する。また。
第二の当事者による証拠調べ請求を原則とする方式も、裁判所が積極的に事案解明を試みる指向を限定する。こうして、裁判所の仕事は、当事者が取調べを請求した証拠に基づき、両者の攻撃防禦活動を踏まえて、検察官の主張する事実が、合理的な疑いを超えて証明できているかという。中立的判断者としての活動に集中することができるのである。これは、「公平な裁判所」による刑事裁判を保障した憲法の趣旨(法 37条)に良くかなった訴訟進行方式であるといえよう。
*これに対して、職権審理主義の方式は、裁判所がその職務として、自ら事実の発明を行う権限と責務を果たすものであり、当事者の請求しない証拠でも必要があると認めれば自ら取り調べ、証人尋問・被告人質問を主導し、検察官の主張する事実とは異なる犯罪事実が証明されると考えれば、そちらについて有罪判決をすることもできる。「事案の真相」解明という法目的との関係では、これは、十分合理的な方式である。このような裁判所主導の訴訟進行を実現する前提として、訴訟を主宰する裁判長は、あらかじめ、捜査段階で集積された事件に関する証拠を精査検討して準備し、これに基づいて公判手続を進めることになろうが、そうだからといって、直ちに不公平な裁判であるとまではいえない。公平中立に判断することを専門職業とする裁判官が、あくまで訴訟進行準備のために証拠に接しただけであり、そこから心証を得ているわけではないからである。ちなみに職権審理主義方式を採用するドイツやフランスの刑事裁判について,彼地でそれが「不公平」な裁判であると論難する議論はない。
もっとも、公平中立の「外観」という観点から、とくに被告人の側から見た場合、このような方式は、検察官と裁判所が、いずれも国家機関として一体となり、被告人の有罪を追求しているように見えないわけではない。また、裁判所が自ら公平中立であろうとしつつ、積極的に事案解明に務める方式は、事実の判断者と探究者とが同一であるだけに、ひとたび探究が誤った方向に向かったときの安全装置が不十分という見方もあり得よう。
(4)また、当事者追行主義の背後には、事案の真相解明に関する次のような考え方ないし精神があるように思われる。すなわち、裁判所が自ら真相を解明しょうと積極的に動くよりも、利害を異にしむしろ敵対的関係にある当事者が、自己に有利と考える証拠をおのおの提出し、それらを突き合わせ、中立的立場の判断者がこれを検討した方が、多角的な視点を踏まえ、一層正確な事実の認定に資することになるという発想である。
もっとも、このような理想型を実際に実現するためには、公判手続における両当事者の訴訟法上の権限が対等に設定されていなければならない。現行法はこの点については十分な配慮がなされているといってよい。
また、証拠調べ請求の前提となる素材・資料があらかじめ両事者に適切に配分されていなければならない。しかしこの点については、最近まで現行法には重大な欠陥があったといわなければならない。前記のとおり公判で取り調べられる証拠のほとんどは、捜査手続において収集・保全され、事件を起訴する検察官の手に集積されるものの(これを「一件記録」という),第1回公判期日前には、裁判所にも、被告人側にも提出されることはなかった。その結果、被告人側には、検察官側が取調べ請求する証拠の信用性を争うのに役に立つ証拠や、被告人側に有利に働き得る証拠の存在をあらかじめ知って、公判前に十分な防活動の準備をすることが困難だったのである。2004(平成16)年の法改正により導入された「公判前整理手続」(法316条の2以下)の中に設定されている「証拠開示制度」は、このような陥を解消し、第1回公判期日前に、被告人側が、検察官の主張事実を争うため公判で取調べ請求する証拠を選定する等の十分な防興準備を可能とするため、検察官の手中にある一定範囲の証拠を被告人側に配分する目的で設計されたものである。
* 刑事手続の目的である正確な事実の認定すなわち事案の真相の解明という観点から見て、以上のような当事者追行主義の方式を徹底すると不都合と考えられるごく例外的・限定的場面がないわけではない。現行法はそのような場面に備えて、審理・判決の対象及び証拠調べについて裁判所が自ら積極的に介入する権限を定めた規定を設けている。審理・判決の対象についての裁判所の「訴因変更命令」の制度(法 312条2項),及び「職権証拠調べ」の権限(法298条2項)である。
訴因変更命令は、条文の文言上は、「裁判所は、審理の経過に鑑み適当と認めるとき」発することができる権限である。検察官が主張する事実については無罪判決をするほかないが、検察官が訴因を変更すれば証拠上有罪判決ができるにもかかわらず、何らかの理由で検察官が自ら訴因を変更しないという場面について、事案の真相解明の観点から一言い換えれば、裁判所が事案の真相にかなった有罪判決をするのが適切と考える場面において一発動されることが想定される制度である。
これは、有罪判決の方向で、裁判所が当事者たる検察官の審判対象の設定・変更権限に直接介入するという意味で,職権主義の顕著な発現である。
現在確立している法解釈は、現行法の基本的構造が当事者追行主義であるという理解に立って,このような訴因変更権限の行使が裁判所の訴訟法上の義務となるのはごく例外的な場合にとどまるというものである。また,運用上は裁判所がいきなり訴因変更を命令することはなく、まず検察官に対して,いわゆる「求釈明」
権限(規則 208条)を用い,訴因変更を示唆・勧告することにより、検察官の自発的な訴因変更を促すのが一般である。これも、当事者の主導的活動を旨とする当事者追行主義を尊重しようという指向の現れといえよう。
これに対して「職権証拠調べ」の権限は、両当事者のどちらに有利な証拠に対しても発動することができる。条文は、「裁判所は、必要と認めるときは、職権で証拠調をすることができる」と規定しており、訴因変更命令と同様に、裁判所の権限行使に対する特段の文言上の制約は記述されていない。しかし、現在確立している運用は、現行法の基本的構造たる当事者追行主義をできるだけ重し、このような権限行使が裁判所の訴訟法上の義務とされることは原則としてない。また、裁判所は、やはり事者に対する「求釈明」権限ないし、事者に対し立証を促す権限規則 208条)を用いて、当事者自身による証拠開べ請求を促すことにより職種証拠調べを行うのと同様の結果を実現しようとするのが一般である。
このような裁判所の当事者に対する求釈明権限は、当事者追行主発の手続を円
等・的確に進行させる責務を負った裁判所の訴訟指類権限の一形態であって、当事者が主導的に訴訟活動を展開する基盤を整えるものである。それは当事者追行主義と矛盾するものではなく、むしろ不可の前提というべきであろう。