その他の捜査手段|写真撮影・ビデオ撮影|法的性質
2025年11月19日
『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日
ISBNISBN978-4-641-13968-8
1)和罪捜査の過程で人や場所や物の答観的状況を認識し、これを証拠として保全するために写真義影・ビデオ撮能を行う場合がある。捜索・差押えの実行過程で写真義影をする場合については既に説明した(これは強制処分の一環である。第5国319】。また、検証・実況見分の過程で捜査機関が認識した対象を撮影して保全し、これを検証調書や実況見分調書に添付しその一部とすることは、しばしば行われている(第6章1113)3(2】。ここで主に扱うのは、捜査目的を達成するため(例、現に実行されている犯行状況を撮影し証拠として保全する目的、被疑者の容貌等を撮影しこれを被害者・犯行目撃者に示すなどして犯人を特定する目的)、対象者の承諾なしに、または対象者の知らないうちに、人の容貌等や人の管理支配する特定の場所・物等を撮影する場合である。
このような捜査手法の適否判断に際しては、まず,それが強制捜査であるか任意捜査であるかの法的性質を決定する必要がある。当該撮影によって侵害される法益の具体的内容を祈出し、これを踏まえて、撮影が状主義による統制を及ぼすべき重大かつ高度の法益侵害結果を生じさせる類型的行為態様であるかが指標になる〔第1章I1)。撮影の対象・方法・態様により、生じ得る法益
侵害の様相は異なるから、写真撮影一般について,それが強制捜査か任意捜査かという形で問題を設定するのは適切でない。しかし、特定の捜査手段は、法197条1項の定める任意捜査または強制捜査のいずれかに包摂されるべきであるから、当該撮影の性質決定は法的規律の大前提である。なお、ビデオ撮影は、写真撮影に比して取得される情報量が大きいが,映像取得過程の法的性質決定については、基本的に同様に考えてよい。
(2)撮影が、令状による統制を要請されている私的領域への「侵入」「捜索」「押収」(憲法 35条)に該当する行為類型である場合には、「強制の処分」(法197条1項但書)と解すべきである。このような撮影を行うためには原則として令状が必要である(憲法35条、法218条)。状なくして実行された場合には、直ちに違法な強制処分と評価される。
例えば、最高裁判所は、配送過程にある荷物にエックス線を照射して、その内容物を確認しようとした捜査について「射影によって荷物の内容物の形状や材質をうかがい知ることができる上、内容物によってはその品目等を相当程度具体的に特定することも可能であって、荷送人や荷受人の内容物に対するプライバシー等を大きく侵害するものであるから、検証としての性質を有する強制処分に当たるものと解される。・・・・・検証許可状によることなくこれを行った本件エックス線検査は、違法である」と説示している(最決平成21・9・28刑集63巻7号 868頁)。
この判例の解釈に立てば、承諾がないのに人の「所持品」を開放してその内容物を撮影することはもとより。「所持品」と共に感法35条の保障する銀験である「住居」内の状態を写真撮影する行為も(例、屋外から望遊レンズを用いて住居内の状況を撮影する場合、室内に隠しカメラを設置して住居内の状況を撮影する場
金),住居の平線を書し住居に対するブライヴァシイ等を大きく役害する越様であるから、私的領域に「侵入」する「検証」または「捜索」としての性質を有する強制処分に当たるはずであろう。また。人の「所持品」や「書類」を差し押えるのと同様にこれを証拠として保全する目的で撮影する行為は、「押収」
に該当するというべきである〔第5章13(3)。
*撮影が、対象者に知られないまま実行される態様である場合(いわゆる「隠し撮り」)、「撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるとき」(後記最大判昭和44・12・24参照)といえるかが、問題となり得る。もっとも、判例は、このような撮影態様自体を「不相当」とは判断していない(後記最決平成20・4・15参照)。対象者の明示の意思に反する場合と法益侵害の質・程度における違いはないとみられるので、「隠し撮り」態様であるからといってそれだけで「不相当」とはいえないであろう。
**強制処分(「検証」または「捜索」)としての撮影が状により許可された場合。
「隠し撮り」態様の撮影において状の事前呈示(法 222条1項・110条)ができない点をどのように考えるべきか。状の事前呈示は「令状主義(憲法 35条)」の直接の要請ではないが、対象者に対する不利益処分の告知と不服申立ての機会付与は「適正手続(恋法31条)」の要請と解されるので、その不備が問題である。前記のとおり、法形式として「検証」または「捜索」の令状に基づく撮影であっても、裁影という手段を用いて「押収」に関する処分が行われたと解することにより準抗告(注430条)を認めるべきであろう。状の星示については、処分の合意性を確保し不服申立ての機会を付与するために、「事後の通知」が必要と解すべきである。
もっとも、恋法解釈上このような明文規定のない手当が必要と解されることから、
「隠し振り」糖様の振は、現行用訴法の想定する「検証」または「捜索」に該当せず。したがって「特別の根拠規定」を久く法な強制処分とみるべきである(は197条1項但書参照)との議論も成り立ち得るように思われる。GPS捜査に関する最高裁判例も。合状の事前量示に代わる公正の担保の手段が「仕組みとして確保されていないのでは、適正手統の保障という観点から問題が残る」と指摘している(前記最大判平成 29・3・15)。
(3) 場所や物の状態を撮影・保全する場合とは異なり、人の容貌・姿態の撮影には、別個固有の法益侵害が想定される。最高裁判所は、捜査機関が公道上をデモ行進中の人物の容貌等を写真撮影した事条について、次のように説示している(最大判昭和44・12・24刑集23巻12号1625頁[京都府学連事件])。
「憲法 13条は、・・・・・・国民の私生活上の自由が、察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し,許されないものといわなければならない」。
ここには、憲法 13条に由来する「みだりに容ほう等を撮影されない自由」という固有の人格的法益が、とくに察権力との関係で、指摘されている。この判例は、公道上に居る人の容貌等を撮影した事案に係るものであるが、この人格的法益はその性質上対象者が何処にいても変化するとは思われない。したがって、対象者が憲法 35条で保護されている私的領域、すなわち「住居」内等,通常、人がその容貌等を他者に見られることがなく、他者に見られていないとの合理的期待が認められる領域に居る状況を撮影した場合には、憲法 13条に由来する「みだりに撮影されない自由」に加えて前記憲法 35条の保障する法益が併せ侵害されることになるから、そのような撮影が「強制の処分」に該当する行為類型であるのは明瞭である。
*最高裁判所は、公道上を歩行中、あるいは不特定多数の客が集まるパチンコ店内で遊技中の対象者の容貌等をビデオ撮影した事案について、撮影された場所の性質に着目し、「いずれも、通常、人が他人から容ほう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所におけるものである」点を指摘して、状なくして行われた撮影を任意捜査として適法と評価している(最決平成20・4・15刑集62巻5号 1398夏)。このような場合とは異なり、対象者の所在「場所」が、他者から容貌等を観察されることを通常想定されない領域内であれば、そのような観察されない自由・期待という法益が併せて侵害されるとみられる。対象者の居場所により「みだりに撮影されない自由」自体が増減するのではない。
(4) 問題は、憲法35条の保護範囲外の公道上等に居る対象者に対する法益侵害,すなわち「みだりに撮影されない自由」のみが侵害される撮影の法的性質である。前記公道上のデモ行進を撮影した事案に係る昭和44年大法廷判例は、北罪捜査目的の写真撮影が詳容される場合があり得るとして、あのように説示する(自動速度監視装置による車両と運転者・同乗者の撮影に関する最判昭和
61・2・14刑集40巻1号48頁も同旨)。
「その許容される限度について考察すると、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑法218条2項[現3項]のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の状がなくても、贅察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるときである。このような場合に行なわれる察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになっても、憲法13条、35条に違反しないものと解すべきである」。
この説示は、裁判官の状がなくとも撮影が許容される場合があることを述べている。また,後の平成20年判例は、「通常、人が他人から容ぼう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所における」無令状の撮影を適法としているので(前記最決平成 20・4・15),最高裁判所は、憲法13条に由来する「みだりに容ほう等を撮影されない自由」のみを侵害する撮影は、強制捜査ではなく任意捜査(法197条1項本文)にとどまるとの法的評価を前提としているとみられる。
(5) このような撮影が任意捜査であるとすれば、昭和44年大法廷判例の言及する「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって」との現行犯的状況に言及した説示は、当該事案がそのような場合であったことを述べたにとどまり、通常の任意捜査と同様に、撮影がこのような場合に限り許容されるとする理由はない。撮影による「証拠保全の必要性および緊急性」すなわち撮影という捜査手段を用いる一般的「必要」(法 197条1項本文)が高度に認められる一場面の例示とみられる。最高裁判所自らも、前記平成20年判例において、昭和44年大法廷判例を引用し現行犯的状況を無令状撮影の一要件と主張する判例違反の上告趣意を床け、「所論引用の各判例
・・・・・・は、.....察官による人の容ぼう等の撮影が、現に犯罪が行われ又は行われた後間がないと認められる場合のほかは許されないという趣旨まで判示したものではないから、前提を[く]」と明言している。
(6) 法的性質に関するこのような判例の立場に対しては,異説もあり得る。
「みだりに撮影されない自由」が憲法 13条に由来する価値の高い人格的法益であることに鑑み、その侵害自体を「強制の処分」と評価すべきであるとの考え方はあり得よう。この評価を前提とすれば、現行法上、強制処分には原則として状が必要であるから、無令状の撮影は違法との帰結になろう。
* 昭和44年大法廷判例は強制処分たる撮影が無令状で許容される場合を新たに認めたものであり、現行犯的状況は、その一要件を説示したものであるとの理解は成り立ち得ない。現行法は強制処分の法定を要請しており(憲法 31条、法197条1項
但書),逮捕に伴う無状捜索・差押え・検証の法定要件(法220条)に該当しない強制処分を許容する余地はない(いうまでもなく、法220条1項にいう「現行犯人を逮捕する場合において」と大法廷判例にいう「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合」とは、まったく別の事柄である)。
このような捜査手法の適否判断に際しては、まず,それが強制捜査であるか任意捜査であるかの法的性質を決定する必要がある。当該撮影によって侵害される法益の具体的内容を祈出し、これを踏まえて、撮影が状主義による統制を及ぼすべき重大かつ高度の法益侵害結果を生じさせる類型的行為態様であるかが指標になる〔第1章I1)。撮影の対象・方法・態様により、生じ得る法益
侵害の様相は異なるから、写真撮影一般について,それが強制捜査か任意捜査かという形で問題を設定するのは適切でない。しかし、特定の捜査手段は、法197条1項の定める任意捜査または強制捜査のいずれかに包摂されるべきであるから、当該撮影の性質決定は法的規律の大前提である。なお、ビデオ撮影は、写真撮影に比して取得される情報量が大きいが,映像取得過程の法的性質決定については、基本的に同様に考えてよい。
(2)撮影が、令状による統制を要請されている私的領域への「侵入」「捜索」「押収」(憲法 35条)に該当する行為類型である場合には、「強制の処分」(法197条1項但書)と解すべきである。このような撮影を行うためには原則として令状が必要である(憲法35条、法218条)。状なくして実行された場合には、直ちに違法な強制処分と評価される。
例えば、最高裁判所は、配送過程にある荷物にエックス線を照射して、その内容物を確認しようとした捜査について「射影によって荷物の内容物の形状や材質をうかがい知ることができる上、内容物によってはその品目等を相当程度具体的に特定することも可能であって、荷送人や荷受人の内容物に対するプライバシー等を大きく侵害するものであるから、検証としての性質を有する強制処分に当たるものと解される。・・・・・検証許可状によることなくこれを行った本件エックス線検査は、違法である」と説示している(最決平成21・9・28刑集63巻7号 868頁)。
この判例の解釈に立てば、承諾がないのに人の「所持品」を開放してその内容物を撮影することはもとより。「所持品」と共に感法35条の保障する銀験である「住居」内の状態を写真撮影する行為も(例、屋外から望遊レンズを用いて住居内の状況を撮影する場合、室内に隠しカメラを設置して住居内の状況を撮影する場
金),住居の平線を書し住居に対するブライヴァシイ等を大きく役害する越様であるから、私的領域に「侵入」する「検証」または「捜索」としての性質を有する強制処分に当たるはずであろう。また。人の「所持品」や「書類」を差し押えるのと同様にこれを証拠として保全する目的で撮影する行為は、「押収」
に該当するというべきである〔第5章13(3)。
*撮影が、対象者に知られないまま実行される態様である場合(いわゆる「隠し撮り」)、「撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるとき」(後記最大判昭和44・12・24参照)といえるかが、問題となり得る。もっとも、判例は、このような撮影態様自体を「不相当」とは判断していない(後記最決平成20・4・15参照)。対象者の明示の意思に反する場合と法益侵害の質・程度における違いはないとみられるので、「隠し撮り」態様であるからといってそれだけで「不相当」とはいえないであろう。
**強制処分(「検証」または「捜索」)としての撮影が状により許可された場合。
「隠し撮り」態様の撮影において状の事前呈示(法 222条1項・110条)ができない点をどのように考えるべきか。状の事前呈示は「令状主義(憲法 35条)」の直接の要請ではないが、対象者に対する不利益処分の告知と不服申立ての機会付与は「適正手続(恋法31条)」の要請と解されるので、その不備が問題である。前記のとおり、法形式として「検証」または「捜索」の令状に基づく撮影であっても、裁影という手段を用いて「押収」に関する処分が行われたと解することにより準抗告(注430条)を認めるべきであろう。状の星示については、処分の合意性を確保し不服申立ての機会を付与するために、「事後の通知」が必要と解すべきである。
もっとも、恋法解釈上このような明文規定のない手当が必要と解されることから、
「隠し振り」糖様の振は、現行用訴法の想定する「検証」または「捜索」に該当せず。したがって「特別の根拠規定」を久く法な強制処分とみるべきである(は197条1項但書参照)との議論も成り立ち得るように思われる。GPS捜査に関する最高裁判例も。合状の事前量示に代わる公正の担保の手段が「仕組みとして確保されていないのでは、適正手統の保障という観点から問題が残る」と指摘している(前記最大判平成 29・3・15)。
(3) 場所や物の状態を撮影・保全する場合とは異なり、人の容貌・姿態の撮影には、別個固有の法益侵害が想定される。最高裁判所は、捜査機関が公道上をデモ行進中の人物の容貌等を写真撮影した事条について、次のように説示している(最大判昭和44・12・24刑集23巻12号1625頁[京都府学連事件])。
「憲法 13条は、・・・・・・国民の私生活上の自由が、察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し,許されないものといわなければならない」。
ここには、憲法 13条に由来する「みだりに容ほう等を撮影されない自由」という固有の人格的法益が、とくに察権力との関係で、指摘されている。この判例は、公道上に居る人の容貌等を撮影した事案に係るものであるが、この人格的法益はその性質上対象者が何処にいても変化するとは思われない。したがって、対象者が憲法 35条で保護されている私的領域、すなわち「住居」内等,通常、人がその容貌等を他者に見られることがなく、他者に見られていないとの合理的期待が認められる領域に居る状況を撮影した場合には、憲法 13条に由来する「みだりに撮影されない自由」に加えて前記憲法 35条の保障する法益が併せ侵害されることになるから、そのような撮影が「強制の処分」に該当する行為類型であるのは明瞭である。
*最高裁判所は、公道上を歩行中、あるいは不特定多数の客が集まるパチンコ店内で遊技中の対象者の容貌等をビデオ撮影した事案について、撮影された場所の性質に着目し、「いずれも、通常、人が他人から容ほう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所におけるものである」点を指摘して、状なくして行われた撮影を任意捜査として適法と評価している(最決平成20・4・15刑集62巻5号 1398夏)。このような場合とは異なり、対象者の所在「場所」が、他者から容貌等を観察されることを通常想定されない領域内であれば、そのような観察されない自由・期待という法益が併せて侵害されるとみられる。対象者の居場所により「みだりに撮影されない自由」自体が増減するのではない。
(4) 問題は、憲法35条の保護範囲外の公道上等に居る対象者に対する法益侵害,すなわち「みだりに撮影されない自由」のみが侵害される撮影の法的性質である。前記公道上のデモ行進を撮影した事案に係る昭和44年大法廷判例は、北罪捜査目的の写真撮影が詳容される場合があり得るとして、あのように説示する(自動速度監視装置による車両と運転者・同乗者の撮影に関する最判昭和
61・2・14刑集40巻1号48頁も同旨)。
「その許容される限度について考察すると、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑法218条2項[現3項]のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の状がなくても、贅察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるときである。このような場合に行なわれる察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになっても、憲法13条、35条に違反しないものと解すべきである」。
この説示は、裁判官の状がなくとも撮影が許容される場合があることを述べている。また,後の平成20年判例は、「通常、人が他人から容ぼう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所における」無令状の撮影を適法としているので(前記最決平成 20・4・15),最高裁判所は、憲法13条に由来する「みだりに容ほう等を撮影されない自由」のみを侵害する撮影は、強制捜査ではなく任意捜査(法197条1項本文)にとどまるとの法的評価を前提としているとみられる。
(5) このような撮影が任意捜査であるとすれば、昭和44年大法廷判例の言及する「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって」との現行犯的状況に言及した説示は、当該事案がそのような場合であったことを述べたにとどまり、通常の任意捜査と同様に、撮影がこのような場合に限り許容されるとする理由はない。撮影による「証拠保全の必要性および緊急性」すなわち撮影という捜査手段を用いる一般的「必要」(法 197条1項本文)が高度に認められる一場面の例示とみられる。最高裁判所自らも、前記平成20年判例において、昭和44年大法廷判例を引用し現行犯的状況を無令状撮影の一要件と主張する判例違反の上告趣意を床け、「所論引用の各判例
・・・・・・は、.....察官による人の容ぼう等の撮影が、現に犯罪が行われ又は行われた後間がないと認められる場合のほかは許されないという趣旨まで判示したものではないから、前提を[く]」と明言している。
(6) 法的性質に関するこのような判例の立場に対しては,異説もあり得る。
「みだりに撮影されない自由」が憲法 13条に由来する価値の高い人格的法益であることに鑑み、その侵害自体を「強制の処分」と評価すべきであるとの考え方はあり得よう。この評価を前提とすれば、現行法上、強制処分には原則として状が必要であるから、無令状の撮影は違法との帰結になろう。
* 昭和44年大法廷判例は強制処分たる撮影が無令状で許容される場合を新たに認めたものであり、現行犯的状況は、その一要件を説示したものであるとの理解は成り立ち得ない。現行法は強制処分の法定を要請しており(憲法 31条、法197条1項
但書),逮捕に伴う無状捜索・差押え・検証の法定要件(法220条)に該当しない強制処分を許容する余地はない(いうまでもなく、法220条1項にいう「現行犯人を逮捕する場合において」と大法廷判例にいう「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合」とは、まったく別の事柄である)。