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探偵の知識

公訴|公訴提起の要件と手続|公訴提起の手続|起訴状一本主義と予断の防止

2025年11月19日

『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日
ISBNISBN978-4-641-13968-8

(1) 起訴状には、裁判官に事件について「予断」を生じさせるおそれのある書類その他の物を「添附」してはならない。また。その内容を起訴状に「引用」してはならない(法256条6項)。この規定は、公判審理を担当する裁判官が第1回公判期日前に事件に関する証拠等に接して「予断」を抱くのを防止すると共に。教判所の主導による訴訟進行、すなわち職権主義的希理を事実上困難にし、当事者の主導による訴訟追行すなわち「当事者追行主義」の訴訟進行方式を確立して、裁判所を中立的な判断者の地位に純化する機能を果たすものである〔序 Ⅱ 4)。
旧法時代には、明文はなかったものの、検察官が起訴と同時に捜査段階で蓄積された捜査書類と証拠物(「一件記録」と称する)を裁判所に提出する慣行が確立していた。裁判官は、起訴状と共に提出された一件記録を第1回公判期日までに精査・検討し、公判における的確な訴訟指揮と事案解明のための基礎としていた。それは、裁判所が主導する職権審理主義の訴訟進行にとって不可欠の前提であったが、他方で,捜査と公判は一件記録の引き継ぎを介して連続し、検察と裁判も事案解明に向けた事務引き継ぎ的関係に立っていたとみられる。
裁判所は中立公平な公判審理を行う建前であったものの、審理開始前に一件記録を精査することで、捜査段階の嫌疑を引き継ぎ有罪方向の一方的な心証一
有罪の「予断」ーーをもって審理を開始していたことは否定できなかった。
これに対して現行法は、前記のとおり、起訴状以外の書面及び証拠物等の添附や引用を禁じることによって、このような「予断」を封じたのである。これを「起訴状一本主義」と称する。裁判所は、事件に関する証拠からあらかじめ心証を形成することなく第1回の公判に臨むことになるので、憲法の保障する「公平な裁判所」(恋法37条1項)すなわち中立的な判断者としての地位は、実質的にもまた客観的・外形的にもより良く確保されることになった。また、少なくとも公判手続の初期段階では、裁判所はみずから積極的に訴訟追行を主宰することはできず、訴訟進行の主導権を当事者に委ねることになったのである。
* 本文に述べたとおり、現行刑事訴訟法全体の基本設計において、起訴状一本主義の第一の機能は、訴訟進行の側面における事者追行主義の確立と裁判所の中立的判断者への純化である(前記のとおり、審判対象の側面では、当事者たる検察官による訴因の設定が当事者追行主義を確立した)。起訴状一本主義に期待されていたいまひとつの機能は、捜査書類の公判手続への無制約な流入の阻止であり、これは、現行法で新たに導入された伝開法則(法 320条1項)と相俟って、裁判所の事実認定の素材について、捜査段階で作成された供述調書を例外化する日標があったものと思われる。しかし、伝聞法則の例外規定(例、同意書証に関する法326条、被告人供述調書に関する法 322条,検察官面前調書に関する法 321条1項2号等)の大幅な活用の結果、第1回公判期日以降は、かつての「一件記録」が多量に事実認定の証拠として利用されているような観を呈する運用が生じた。
訴訟の進行方法が当事者追行主義であるかヨーロッパ大陸法圏のような職権審理主義であるかを問わず、公判審理において捜査段階で作成された調書を無制約に許容しない「直接主義」は、捜査と公判との関係を規律した刑事裁判における普遍的な原理として尊重されている。例えば,職権審理主義を採用し,裁判長が訴訟指揮のために一件記録を把握しつつ審理を主導しているドイツ法においても、事実の証明が人の知覚に基づくときは、証拠の源泉であるその者を公判において尋問しなければならず、尋問調書や書面による供述の朗読でこれに代えることはできないという直接主義の原則を徹底する運用が行われている。
このような公判供述を中心とする事実認定が諸外国の刑事裁判に普遍的なものであるとすれば、わが国の伝聞例外規定の大幅な活用による捜査書類すなわち供述調書の利用は、特異な事象との見方もできよう。
(2)法が明示的に禁じているのは、「予断を生ぜしめる度のある書類その他の物」の「添附」またはその内容の「引用」である。
書類の「添附」について、起訴状謄本や弁護人選任書の差出しは、もとより法の趣旨に反しない。第1回公判期日が開かれるまで,逮捕状・勾留状の提出が「裁判官」を経由することとされているのは、予断防止に配慮したものである(1(2)*)。このほか、公訴時効関係の資料が必要なとき、検察官は、公訴提起後、速やかにこれを裁判所に差し出さなければならないが、「裁判官に事件につき予断を生ぜしめるおそれのある書類その他の物を差し出してはならない」(規則166条)。
なお、略式命令請求の場合は、手続の性質上、請求と同時に必要があると思料する書類及び証拠物を裁判所に差し出すこととされており(規則 289条)、起訴状一本主義の適用はない。
「引用」については、前記「罪となるべき事実」を特定する「訴因の明示」の要請(法256条3項)との関係で問題となり得る。文書を用いた脅迫行為や名誉毀損行為を具体的に特定・明示するため、脅迫文書や名誉毀損文書を引用して「罪となるべき事実」を記載した場合はどうか。判例は、恐喝の手段として用いられた文書の趣旨が焼曲暗示的であり、これを要約摘示するのが困難である場合には、起訴状にそのほとんど全文が記載されても違法でないとし(最判昭和33・5・20刑集12巻7号138頁)、また、名誉毀損文書の原文約3500字の引用を,訴因明示の方法として不当ではないと是認している(最決昭和44・10・2刑集23巻10号1199頁)。しかし、これら判例の事案は、いずれも、文書の引用が「罪となるべき事実」の特定と審判対象の画定に必要不可な記載であったとは思われず、証拠そのものの引用として違法であったというべきである。
(3) 法定の必要的記載事項(法256条2項)に当たらず、他方、法が明示的に記載を禁じていない起訴状の「余事記載」のうち、「裁判官に事件につき予断を生ぜしめる度のある」事項の記載は,法256条6項の趣旨から、書類の添附や引用と同様に許されないと解すべきである。例えば、判例は、詐欺罪の公訴事実について、冒頭に「被告人は詐欺罪により既に2度処罰を受けたものであるが」と公訴事実と同じ前科の記載をした事案について、両者の関係から公訴事実につき、裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある事項に当たり許されないと説示している(最大判昭和27・3・5刑集6巻3号 351頁)。これは、予断を生じさせる違法な余事記載の一例である。
これに対し、「前科」の記載であっても、法律上、罪となるべき事実の構成要件となっている場合(例,常習果犯窃盗)や、事実上、罪となるべき事実の内容を成す場合(例。前科がある事実を誇示する方法での恐喝)は、訴因の明示に不可であるから、余事記載ではない。
被告人の性向・経歴、犯行に至る経緯・動機等の記載は、同様に、罪となるべき事実や訴因の明示のため必要な記載事項であるかとの観点からその適否が判断されよう。
(4) 法256条6項が直接禁じる「添附」「引用」及び、予断を生じさせるおそれのある余事記載は、それだけで公訴を無効にするものと解されるので、裁判所は公訴を棄却すべきである(法338条4号)。判例は、「裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある事項は、起訴状に記載することは許されないのであって、かかる事項を起訴状に記載したときは、これによってすでに生じた違法性は、その性質上もはや治癒することができないものと解するを相当とする」旨説示している(前記最大判昭和27・3・5)。違法な事記載の削除による補正を認めない趣旨であろう。
これに対して、罪となるべき事実の特定・訴因の明示に必要な記載は、当然適法・有効である。その他の単なる事記載は、起訴状の効力に影響しない。
したがって、裁判所はそのまま手続を進めてよい。
(5) 現行法は、法256条6項に顕現された「予断」防止の趣意、すなわち事件の実体に関する心証形成の禁止という観点から、第1回公判期日前の「裁判官」に対する証拠保全請求(法179条)、「裁判官」に対する検察官の証人尋問請求(法 226条・227条),起訴後第1回公判期日までの「裁判官」による勾留に関する処分(法 280条、規則187条)等の諸規定を設けている。また、「公平な裁判」の観点から裁判官の除斥(法20条)・忌避(法21条)・回避(規則13条1項)の制度〔第3編公判手続第2章Ⅰ 3〕が設けられているのは、旧法と同様である。
(6) 起訴状一本主義と予断防止について,裁判官は、第1回公判期日前には事件に関する証拠や情報に一切接触すべきでなく、「白紙の状態」で公判審理に臨まなければならないとの主張があった。しかし、これは、根拠のない仮象の「標語」であったというべきである。前記のとおり、法256条6項の趣意は、裁判官が公判審理前に、一方的な形で証拠に接し、事件の実体についてあらかじめ心証を形成すること(予断)の防止である。そのために、法は、検察官が一方的な形で一件記録等を裁判官に提出し、裁判官がこれを精査して公判に臨んでいた旧法時代の慣行を禁じたのである。
起訴状一本主義と予断防止の趣意をこのように理解すれば、公判審理を担当する裁判所または裁判官が、一方的でなく両当事者の対等な関与が確保された手続において、審理計画を立てる目的で、双方の「主張」を確認し、これを通じて公判の争点を理し、必要な証拠調べの範囲等を決定したとしても、このような活動は、証拠から事件の実体に関する心証を形成するものではおよそないから、予断防止原則に反するものではない。2004(平成16)年の法改正で導入された「公判前整理手続」(法316条の2~
316条の27)においては、第1回公判期日前に、公判審理を担当する裁判所が、両当事者に公判手続でする予定の主張、証拠調べ請求やそれに対する意見を明らかにさせた上、証拠決定を行うことや、証拠能力に関する判断や証拠開示に関する裁定のために直接証拠に接触することも予定されている[第3編公判手
読第3章I】。裁判所のこれらの活動は、いずれも当該目的のために実施されるのであって、そこから事件の実体について心証を形成することを目的とせず、また実際に心証を形成することもないから、法256条6項の趣意に反するものではない。公判前整理手続という実定刑事訴訟法の規定の存在は、予断防止原則の意義と内容を一層明瞭にしたものといえよう。