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探偵の知識

公訴|審理・判決の対象|訴因の明示ー「罪となるべき事実」の特定

2025年11月19日

『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日
ISBNISBN978-4-641-13968-8

(1) 審判対象たる訴因は、「できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定して」明示しなければならない(法 256条3項)。「特定」とは、他の異なる「罪となるべき事実」の主張と区別して画定することをいう。他の罪となるべき事実の主張と区別ができなければ、裁判所が審判対象を識別・認識することができず、証拠調べの手続段階へと審理を進行させることができないからである。また。前訴との関係で一事不再理の効力の及ぶ範囲、二重起訴禁止の範囲〔Ⅰ(41〕、公訴時効停止の効力が及ぶ事件の範囲〔第2章Ⅰ 2(6)〕を画定することもできず不都合である。
他方、訴因の記載は、被告人の防対象でもあるから、他の罪となるべき事実の主張との区別が不分明では、およそ一般的に防が不可能である。もっとも、被告人の具体的な防興上の利益に対する配慮は、起訴に引き続く手続の進行週程に応じて様々な局面で制度化されている(例、公判前整理手続が実施される場合の「証明予定事実記載書面」の提出[法316条の13],起訴状に対する求釈明[規則 208条],検察官の冒頭陳述[法296条],審理の過程における争点の顕在化・防禦の機会付与による不意打ち防止等)。
この点を考慮すれば、起訴状における訴因明示の第1水的機能は、裁判所が実体審理を進めることができる程度に審判対象を他と区別し画定することにあるとみるべきである。訴因の明示は、この機能を果たすのに必要・十分な程度の具体的記載であれば足りる。被告人の防禦上の利益は、審判対象が他の事実と区別して画定されることによりその反射効として一般的防目標が星示され、引き続く手続段階において具体的に考慮・勘案されることになる。
(2)最高裁判所は、法256条3項の制度趣旨について、「裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防の範囲を示すことを目的とするものと解される」と説示しているが(最大判昭和37・11・28刑集16巻11号 1633頁[白山丸事件]),訴因変更の要否を扱った判例において、訴因に記載された事項が「罪となるべき事実の特定」に不可でこれと異なる事実認定をするために訴因変更を要するか否かを、「審判対象の画定という見地から」検討している(最決平成13・4・11刑集55巻3号127頁。この判例は、「訴因変更の要否」の基準について、「そもそも、殺人罪の共同正の訴因としては、その実行行為者がだれであるかが明示されていないからといって、それだけで直ちに訴因の記載として罪となるべき事実の特定に欠けるものとはいえないと考えられるから、訴因において実行行為者が明示された場合にそれと異なる認定をするとしても、審判対象の画定という見地からは、訴因変更が必要となるとはいえない」と説示している)。このことからも、最高裁判所は、訴因の明示の第1次的機能として「審判対象の画定」を想定しているとみられる。
*起訴状謄本に代えて被告人に送達されることになる「起訴状抄本等」〔第2章II 1(2)**参照〕においても、起訴状における公訴事実と同様に「罪となるべき事実を特定」して訴因を明示することを要する。法271条の2第3項は、「起訴状抄本等」における公訴事実を起訴状における公訴事実とみなして法 256条3項を適用することとし、読み替えを行うことで、同項の「できる限り日時、場所及び方法を以て」との文言を除外し、被害者等の個人特定事項を秘匿した「起訴状抄本等」の公訴事実の記載ができることとした。こうして、訴因明示の趣旨が害されない限りで、個人特定事項の記載がなくとも罪となるべき事実の特定として足りる。他方、「起訴状抄本等」における公訴事実の記載が、「罪となるべき事実を特定」したものといえない場合には不適法な起訴として公訴棄却となる(法338条4号)。
(3) このような審判対象の画定機能をく新因の記載は違法であり、公訴提起の手続そのものが無効となる(法338条4号)。
もっとも起訴状の記載のみでは審判対象の画定をく場合であっても、裁判長が検察官に対し訴因に関する釈明を求め(規則 208条1項)、検察官が明により訴因の内容を具体的に明示・表現することができれば、有効な公訴提起として扱うことができると解されている。これを訴因の「補正」という。求釈明によっても訴因が補正されないときは、公訴棄却の判決で手続が打ち切られる。
判例は、「訴因の記載が明確でない場合には、検察官の釈明を求め、もしこれを明確にしないときにこそ,訴因が特定しないものとして公訴を棄却すべきものである」旨述べて、このような措置を是認している(最判昭和33・1・23刑集
12巻1号34頁)。
もっとも、公訴提起は刑事手続上重要な様式行為であり、起訴状における公訴事実の記載は,被告人に「告知・聴聞」の機会を付与する基本的手続と位置付けられるものであるから(憲法31条),当事者たる被告人側が、再起訴の可能性を認識しつつも公訴棄却を求めている場合にまで、訴因の補正を認めるのは疑問であろう。
被告人及び弁護人も、冒頭手続における被告事件についての陳述(法291条5項)の前提として,検察官により読された(法291条1項)起訴状の訴因が不分明であるとして、裁判長に対し、釈明のための発問を求めることができる(規則 208条3項)。
なお,検察官の釈明の内容を付加しなければ「罪となるべき事実」が不特定であり、釈明によって訴因の補正を認めた場合には、検察官の訴追意思の表明である釈明内容は、「罪となるべき事実」の特定に不可欠な範囲で、当然訴因の一部を成すことになると解される。したがって、このような場合に、裁判所が判決において検察官の釈明内容と異なる事実を認定しようとするときは、原則として訴因の変更が必要である。
*判例の扱いを前提とすれば、裁判所は、冒頭手続において起訴状記載の訴因のままでは「罪となるべき事実」の特定が不十分で審判対象の画定をくと認めた場合には、直ちに公訴を棄却するのではなく、被告人側の求釈明申出の有無にかかわらず、検察官に訴因に関する釈明を求める訴訟法上の義務があるということになろう。
これに対して、訴因の記載のうち審判対象画定の見地からは不可欠でない事項について、これを一層具体的に示すことが被告人の認否や防目標を明示するという観点から望ましいと認められる場合があり得る(例,共謀共同正における共謀の日時・場所・方法・態様や共同正における実行行為者等)。この場合,公訴提起そのものは適法であるから、裁判所に訴因に関する釈明を求める訴訟法上の義務はない。
しかし、訴訟法上の義務はなくとも、裁判所は訴訟指揮の一環として合目的的裁量により検察官に釈明を求める権限を有するので、冒頭手続段階で前記のような事項について釈明を求めることはできる。このような義務的でない求釈明も訴訟指揮の一態様である以上、検察官は釈明を行う訴訟法上の義務を負う。ただし,義務的求
釈明の場合とは異なり,検察官がこれに応じなかったとしても、冒頭手続段階で必要とされる訴因の「審判対象の画定」機能が充たされている以上,裁判所は、検察官に対して引き続く冒頭陳述でこれを明らかにするよう促すなどして、手続を進行させることができる。
**共同正(刑法60条)における「共謀」それ自体は、もとより「罪となるべき事実」に当たる。もっとも、最高裁判所が「共謀」の認定に関し次のように説示している点に留意すべきである。「『共謀』または『謀議』は、共謀共同正における「罪となるべき事実」にほかならないから、これを認めるためには厳格な証明によらなければならないことはいうまでもない。しかし『共謀』の事実が厳格な証明によって認められ、その証拠が判決に挙示されている以上、共謀の判示は、
...[2人以上の者が特定の犯罪を行う意思連絡たる謀議が]成立したことが明らかにされれば足り、さらに進んで、謀議の行われた日時、場所またはその内容の詳細、すなわち実行の方法,各人の行為の分担役割等についていちいち具体的に判示することを要するものではない」(最大判昭和33・5・28刑集12巻8号1718頁〔練馬事件])。
後記のとおり、判決に判示することを要しないとされた事項は、訴因の記載としても必要不可ではない事項ということになろう。このような考え方に立って、起訴状には単に「共謀の上」とのみ記載されるのが通例である。
なお、過失犯における訴因については、過失の内容をなす注意義務違反の事実を具体的に記載する必要があると解されている。これは、結果が同じでも注意義務の内容を異にする過失犯は、異なった「罪となるべき事実」であるとの理解を前提とするものであろう。
***「罪となるべき事実」の特定に不可欠とまではいえない事項について検察官が釈明した場合、「審判対象の画定という見地」からは、それが直ちに訴因の一部になるとはいえない。したがって、審理の結果、裁判所がこれと異なる事実認定をする場合でも。原則として訴因変更手続が必要であるとまではいえないことになる。もっとも、前記共謀の日時・場所・態様や共犯関係等被告人の防にとって重要な事実について検察官の釈明があり、その内容を前提に当事者間で攻撃防がなされた場合。裁判所が放察官の釈明内容と重要部分において異なる事実をいきなり認定するのは不意打ちとなるから、連法な訴訟手続というべきである。理の過程でこのような局面が生じた場合。裁判所にはそれまでの審理経過と被告人の防活動の具体的状況を勘案し、認定しようとする事実につき防薬の機会を付与するためこれを顕在化させ、または検察官に対し訴因変更に準じた主張内容明示を促す訴訟法上の義務が生じるというべきである。なお、前記最決平成13・4・11を参照。また。
共謀の日時が争われた事案において、両当事者が攻撃防禦を行っていない目時の課議を認定しようとするのであれば、裁判所としてその存否の点を「争点として顕在化させたうえで十分の審理を遂げる必要があると解されるのであって、このような措置をとることなく、・・••・・率然として」このような事実を認定することは、「被告人に対し不意打ちを与え、その防票権を不当に侵害するものであって違法であるといわなければならない」と説示した、最判昭和58・12・13刑集37巻 10号1581頁(よど号ハイジャック事件)参照。
**** 起訴状に関する求釈明をめぐる問題は、2004(平成16)年改正で導入された「公判前整理手続」(法316条の2以下。とくに法316条の5第1号~4号、法316条の13「証明予定事実記載書面の提出」、法316条の21「証明予定事実の追加・変更」など)が実施される場合には、冒頭手続や冒頭陳述ではなく、第1回公判期日前の段階で集中的に処理されることになろう(なお、裁判員の関与する刑事訴訟手続においては、必ず公判前整理手続を実施することとされている[裁判員法49条])。公判前整理手続において十分な争点の画定・顕在化が行われれば、公判審理における新たな争点の発生や不意打ち認定の問題は,相当程度解消されるはずである。
(4) 捜査手続において収集され検察官の手に集積された証拠(法246条参照)から、「罪となるべき事実」の諸要素を具体的に記載できる場合には、前記6項目(1(1)に即した過不足ない訴因の明示ができる。しかし、起訴当時の証拠によっては、狙罪の日時、場所及び方法等を概括的にしか記載できない場合があり得る。このような場合であっても、審判対象の画定の見地から、「罪となるべき事実」が他の事実と区別して特定されていると認められるときは、前記法の趣旨に反することはないので、適法に訴因が明示されていると解することができる。
このことは、有罪判決の理由として示すべき「罪となるべき事実」(法335条1項)についても、基本的に同様であるはずである。証拠により証明された刑調権の根拠となる機成要件該当事実が具体的に明示され、他の事実と区別して特定されていれば最低限の要請は充たされるというべきである[第5編裁判第2章13)。
「罪となるべき事実」そのものではない犯罪の日時・場所・方法等が証拠上不分明で概括的ないし幅のある記載をせざるを得ない場合であっても、当該「罪となるべき事実」それ自体の性質・特性により、審判対象が画定し、また有罪判決の根拠としても画定していると認められる記載は、あり得る。これは、「罪となるべき事実」すなわち、刑罰法令の定める構成要件の特性に拠るのであって、当該事案についての証拠収集すなわち捜査の困難それ自体を理由に訴因の記載の具体性が緩和できるという意味ではない。それは、概括的記載にとどまらざるを得なかった捜査・訴追側の事情にすぎない。
犯行の日時・場所・方法等に幅のある記載をした密出国の事案を扱った最高裁判所は、訴因明示の趣意が「裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示すことを目的とする」旨述べた上で、「犯罪の日時、場所及び方法は、これら事項が、罪を構成する要素になっている場合を除き,本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類,性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、前記法の目的を害さないかぎりの幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない」と説示している(前記最大判昭和 37・11・28[白山丸事件])。
「特殊事情」とは、「犯罪の種類、性質」すなわち「罪となるべき事実」の特性により、諸般の事情で犯罪の日時、場所及び方法を「詳らかにすること」ができなくとも、審判対象の特定すなわち他の事実と区別した画定が可能である場合をいうとみるべきであろう(その後最高裁判所は「特殊事情」という表現を用いていない点に留意すべきである)。
*通常の場合、公判立証を経て、裁判所が有罪の心証に到達した判決段階では、手続の劈頭に星示される起訴状記載の訴因に比して、一層具体化され豊富な内容を盛り込んだ像が結ばれる例が多いであろう。訴訟の発展に則して、有罪判決に示されるべき「罪となるべき事実」(法 335条1項)が訴因における「罪となるべき事実」(法256条3項)より具体化され、量刑にとって重要な事実等をも盛り込んだ判決書の記載がなされるのは、判決の名宛人たる被告人にとっても、また、公的な刑事判決の対社会的在り方としても望ましいことといえよう。しかし、起訴当時の証拠に限界があり、公判審理を経ても「罪となるべき事実」の具体化が進展しない限界事例があり得る。本文はそのような場合についての説明である。
** 訴訟の発展により具体化する例の多い有罪判決の「罪となるべき事実」も、限界事例においては、本文記載のとおり、特定の構成要件に該当する事実が他の事実と区別して具体的に識別・画定できる表示であれば適法というべきである。そして、手続の劈頭に示される「訴因」に、手続の終点である判決以上の具体性を法的に要求するのは背理であろう。
(5) 以上の観点から、訴因や有罪判決における「罪となるべき事実」の特定が問題とされた判例をみると、いずれも,起訴段階や訴因変更ないし判決段階における証拠に基づきできる限りの特定を試みたが、その具体化が十分でなく、狙行の日時・場所・方法・共犯関係等に相当程度の幅や概括的記載しかできなかったものの、当該「罪となるべき事実」の特性により、それがいかなる構成要件に該当するか具体的に明示された上、「審判対象の画定という見地からは」他の事実の主張と区別して画定・識別できる場合であったとみることができる。
訴因の審判対象画定機能に着目して訴因変更の要否の基準を呈示した前記最高裁判例(最決平成13・4・11)の説示〔I参照〕との統一的把握という観点からも、判例法理をこのように理解するのが整合的であろう。
①密出国行為の日時・場所・方法に幅のある記載がされた事例は、実行行為の日時・場所・方法等が不明であっても、罪となるべき事実の存在自体を起訴当時の証拠により確信の水準まで証明することが可能な特性が認められる犯罪類型であったといえよう。被告人に適法な出国記録がなく、外国から来航した船に乗船して帰国したという事実により犯行の存在を認定できるし、それ故に犯行の日時・場所・方法等を争うことが被告人の防禦にとって意味がない事案である。さらに他の事実との区別による審判対象の識別・画定という見地からは、事柄の性質上、区別が必要となる他の密出国行為の可能性は事実上問題となり得ない事案であった(前記最大判昭和 37・11・28[白山丸事件])。
②特定の被害者に対する致死的加害行為が行われた事案の「罪となるべき事実」の特定が問題とされた一連の事例では、i)被告人の犯行自体は証拠上明白と判断できるものの。証拠上、犯行の日時・場所・方法・共犯関係等が具体的に明確でなく、記載が概括的にならざるを得なかった。他方、これらの諸要素はいずれも審判対象の画定という訴因の第1的機能の観点からは、不可の記載事項ではない。特定の被害者に対する致死的加害行為という個性ある処罪事実であるため、当該犯行との異同・区別が問題となるような同種行為が存在する可能性はなく、特定の被害者に対する1回限りの事実が起訴されていることは明白である。罪となるべき事実の記載は、抽象的な構成要件の記載にとどまるものではなく、被告人の具体的行為が当該犯罪構成要件に該当するものであることを認識判定し、かつ他の事実の主張と区別することが可能な程度の具体的記載がある。以上のような共通の特性を有する事案である。
前記「白山丸事件」のような立証上の特別な類型的特徴は認められないが、個別事の事実認定上、被告人の犯人性について確言の心証が得られるとの判断において共通し、他の事実の主張との識別・画定機能の見地からは、「罪となるべき事実」の特定が認められ、その反射効としての被告人の防禦目標の告知機能も害されていない点で共通する。実例は下記のとおり。このような実例からみて、今後も、1回しかあり得ない特定の被害者に対する致死的加害行為を含む犯罪類型(例、強盗致死罪)については、審判対象の画定機能が害されない限り,概括的記載が許容される可能性があろう。
「被告人は、単独又は甲及び乙と共謀の上、平成9年9月30日午後8時30分ころ、福岡市中央区所在のビジネス旅館A2階7号室において、被害者に対し,その頭部等に手段不明の暴行を加え、頭蓋冠、頭蓋底骨折等の傷害を負わせ、よって、そのころ、同所において、頭蓋冠、頭蓋底骨折に基づく外傷性脳障害又は何らかの傷害により死亡させた」という傷害致死の事実の記載であり、かつ単独犯と共同正犯のいずれであるかという点については、択一的に訴因変更請求(予備的訴因の追加請求)がされた場合について、最高裁判所は、次のように説示して、訴因の特定を認めている。
「原判決によれば,第1次予備的訴因が追加された当時の証拠関係に照らすと、被害者に致死的な暴行が加えられたことは明らかであるものの、暴行態様や傷害の内容、死因等については十分な供述等が得られず、不明瞭な領域が残っていたというのである。そうすると、第1次予備的訴因は、暴行態様、傷書の内容、死因等の表示が概括的なものであるにとどまるが、検察官において、当時の証拠に基づき、できる限り日時、場所、方法等をもって傷害致死の罪となるべき事実を特定して訴因を明示したものと認められるから、訴因の特定に欠けるところはないというべきである」(最決平成14・7・18刑集56巻6号307
頁)。
また、殺人未遂罪及び殺人罪の有罪判決における罪となるべき事実の特定に関して、最高裁は次のような判断を示している。
ひとつは、「未必の殺意をもって、「被害者の身体を、有形力を行使して、被告人方屋上の高さ約0.8メートルの転落防護壁の手摺り越しに約7.3メートル下方のコンクリート舗装の被告人方北側路上に落下させて、路面に激突させた』」旨の殺人未遂罪の罪となるべき事実の記載について、「手段・方法については、単に「有形力を行使して』とするのみで、それ以上具体的に摘示していない・・・・・・が、前記程度の判示であっても、被告人の犯罪行為としては具体的に特定しており、第1審判決の罪となるべき事実の判示は、被告人の本件犯行について、殺人未遂罪の構成要件に該当すべき具体的事実を、右構成要件に該当するかどうかを判定するに足りる程度に具体的に明白にしている」から、罪となるべき事実の摘示として不十分とはいえない旨判示した例である(最決昭和58・5・6刑集37巻4号 375頁)。
いまひとつは、「被告人は、Aと共謀の上[昭和63年7月24]日午後8時ころから翌25日未明までの間に,青森市内又はその周辺に停車中の自動車内において、A又は被告人あるいはその両名において、扼殺、絞殺又はこれに類する方法でVを殺害した」旨の殺人罪の罪となるべき事実の記載について、「殺害の日時・場所・方法が概括的なものであるほか、実行行為者が『A又は被告人あるいはその両名」という択一的なものであるにとどまるが、その事件が被告人とAの2名の共謀による犯行であるというのであるから、この程度の判示であっても、殺人罪の構成要件に該当すべき具体的事実を、それが構成要件に該当するかどうかを判定するに足りる程度に具体的に明らかにしているものというべきであって、罪となるべき事実の判示として不十分とはいえない」と説示した例である(前記最決平成13・4・11)。
(6)以上の例に対して、日時・場所・方法等が概括的にとどまる覚醒剤自己使用行為の訴因の記載は、他の事実との区別・審判対象の画定という訴因の機能の観点から、困難な問題がある。国の使用行為ごとに一罪が成立し、複数回の使用は併合明の関係にあるとする現在の実務の龍立した実体法解釈を前提とすれば、まさに一定期間内にあり得る他の犯罪事実との区別が問題となるのである。
(7)他の事実との区別・無判対象の画定という最も基本的な手続的要請が充たされていないとすれば、そのような訴因の記載は不適法といわざるを得ない。
幅のある期間内に、複数回の使用行為の可能性が現実に想定されるとすれば、起訴されている使用罪とその期間中の他の使用罪とを区別することはできないから、使用日時に幅のある訴因の記載は不適法として公訴棄却すべきであるとの考え方が成り立ち得る。
これに対し、覚醒剤自己使用事犯の刑事学的実態に即して、近接した一連の反復使用行為を包括して一罪と考えれば、尿の鑑定結果に対応する一定期間内の1個の犯罪が起訴されたものとみることができるから,他の事実との区別という問題は解消する。前記のとおり、このような罪数解釈は現在の実務では採られていない。しかし、個々の使用行為を一罪としながら、尿鑑定があるにもかかわらず犯行の態様について否認・黙秘する被疑者を訴追処罰できない不当性・処罰の必要性から、幅のある概括的記載の訴因による起訴を行う結果、訴因の審判対象画定・識別機能という刑事手続の基本枠組を動揺・不安定化するよりは、むしろ実体法の解釈ないし要件を再考・検討するのが合理的な途であろう。
実質的に見れば、現状は、検察官が尿鑑定により証明可能な期間内の1回の使用行為のみを起訴し、他の可能性があっても事実上それを不問に付すことにより、訴因の審判対象画定・識別機能の問題を回避するものであるといえよう。
別の見方をすれば、覚醒剤使用事処の実態に即して、一使用行為が一罪との実体法上の枠組は、事実上放棄されていると思われる。
手続法の観点から、審判対象の画定・識別という問題に対処しつつ判例の帰結を上当化する説明として、次の2つの考え方が示されている。いずれも難点があり、「訴因の明示」ないし「罪となるべき事実」の特定が真に充されているか、問題の合理的な解決策であるか、なお疑問であろう。
第一は、日時等に幅のある訴因の記載を、被告人の尿の提出・採取に先立つ直近の最終使用行為を起訴した趣旨であると説明するものである。実務上、検察官が冒頭手続等において、訴因に記載した期間内に2回以上の使用行為があったとすれば、そのうち尿の提出時に最も近い1回を起訴した趣旨であると釈明することにより」
つの使用行為が特定されるとされる。
確かに最終の使用行為は1個しかあり得ないから、論理的・観念的に特定はできているが、検察官の釈明を考慮しても具体的な最終使用行為が明示・記載されているといえるか疑問であろう。また。「最終」使用行為という特定方法は、当初から複数回の使用行為を前提として成り立つ発想であり、起訴状において1個の使用行為を一罪として起訴しているはずの前提に反するようにも思われる。この考え方に立つと、使用日時に幅のある判決が確定しても、その一事不再理の効力は単一の最終使用行為にのみ及ぶはずであるから、理論的には,検察官は,最終使用行為以前の別の使用行為が判明し、それが確定判決を受けた最終使用行為と区別可能である場合には、これを別途起訴することが可能となろう。もっとも、特段の事情がない限り、再度の起訴対象が既に確定した最終使用行為ではないということを示すのは、実際上,極めて困難であろう。
第二は、検察官が起訴状記載の幅のある期間中の(少なくとも)1回の使用行為を起訴した趣旨と理解し、審理を進めることができるとの考え方である。1回の使用行為が起訴されているのであるから、冒頭手続段階においては他の使用行為との区別の問題は生じない。裁判所は1回の使用が起訴されているとしてそのまま審理を進めてよく、審理の過程で複数回の使用の可能性が現実に問題になった場合にも、少なくとも1回使用されたという訴因の主張を前提に審理・判決できるとする見解である。
しかし、それが具体的にどの1回の使用行為なのかは不明であり、最終使用行為とする第1の考え方と同様に観念的な特定であることは否定できない。この考え方に立って、検察官が起訴当時の証拠(尿鑑定の結果)に基づき一定期間内の1回の使用行為を起訴したと主張しているとの理解を前提とし、審理の過程で一定期間内の近接した特定日時の具体的な使用行為の間で、または特定日時の使用と一定の幅のある期間中の使用行為との間での訴因変更が可能であったと解すれば、第1の考え方とは異なり、判決確定後に複数回の使用行為が明らかになった場合であったとしても、それが幅のある記載の中に含まれ、訴因変更が可能であった限りにおいて、一事不理の効力が及ぶと説明されよう。
**訴因のいまひとつの機能である被告人の防目標の告知という観点からは、特段の事情のない限り、具体的な防興上の支障・不利益は想定されない。幅のある訴因の記載を許容する背景には、このような事情もあろう。
実際上、幅のある期間内の使用行為が専度起訴される可能性は乏しい。公判審理における具体的な防を想定しても、使用行為の日時・場所・方法等を争うことは、犯行の存在に関する心証を揺るがすことにはなり得ない。自己の意思に基づかずに覚醒剤を摂取したとの主張は、訴因の概括的記載とは無関係に可能である。採尿過程の手続の違法性や尿鑑定結果の証拠能力を争う場合も同様である。また、期間内に複数回使用した旨、あるいは別の日に使用した旨の主張は、訴因に対する否認ではなく、むしろ使用行為という罪となるべき事実の自白とみられるから、防興上の不利益とは言い難い。
***包括一罪とみられる罪の訴因は、日時としてその始期と終期を示し、場所は主要なものを列挙し、被害者・被害の重要なものを掲げて、行為回数、被害総額等を包括的に示せば足りるとされている。判例は,包括一罪を構成する街頭募金詐欺について、募金に応じた多数人を被害者とした上、募金の方法、期間、場所、得た総金額を摘示することをもって訴因の特定に欠けるところはないとし(最決平成
22・3・17 刑集64巻2号111頁),また包括一罪を構成する一連の暴行による傷害について、その共犯者、被害者、期間,場所,暴行の態様及び傷害結果の記載により、他の罪事実との区別が可能であり、それが傷害罪の構成要件に該当するかどうかを判定するに足りる程度に具体的に明らかにされているから、訴因の特定に欠けるところはないとしている(最決平成26・3・17刑集68巻3号368頁)。これら連続的
包括一罪は、一連の継続的行為による法益侵害を一体として処罰する趣旨であるから、個別行為の特定記載がなくとも、訴因記載事実が全体として特定の構成要件(例、傷害罪)に該当することが明示されていれば足りるとされたものとみられる。
なお、複数の薬物譲渡行為などを業として行うことを構成要件として「一連の行為を総体として重く処罰する」麻薬特例法5条違反の罪について、個々の行為の特定がなくとも全体が業として行われたことを示す記載があれば訴因の特定に欠けるところはないとした判例として、最決平成17・10・12刑集59巻8号1425頁がある。