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探偵の知識

公訴|審理・判決の対象|訴因変更の限界(可否)一公訴事実の同一性

2025年11月19日

『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日
ISBNISBN978-4-641-13968-8

(1) 検察官は、当初起訴状に訴因として明示・特定した罪となるべき事実の主張を変更し、当該訴訟手続内で別の主張を新たに提示し,これについて裁判所の審理・判決を求めることができる。ただし,訴因の変更には制約があり、審判対象すなわち公訴事実の「同一性」を害することは許されない(法 312条
1項)。審判対象の同一性を判断する権限は、検察官ではなく、手続の安定的進行に責務を負う裁判所にある。
起訴状記載の訴因と公訴事実の同一性を欠く訴因については,当該訴訟手続において扱うことはできず,検察官がそのような訴因について刑罰権の実現を求めるには、別の訴追手続(別訴)に拠らなければならない。他方、公訴事実の同一性が認められる訴因については別に拠ることはできず,当該訴訟手続において訴因変更により刑罰権の実現を求めることが要請される(二重起訴の禁止。法 338条3号・339条1項5号参照)。また,「確定判決を経た」訴因と公訴事実の同一性が認められる訴因については、確定判決に至った訴訟手続において訴因変更による訴追意思の実現が可能であったことから判決の一事不再理の効力が及び、再訴は禁止される(法337条1号)。
このように法が訴因変更に限界を設定している趣旨・目的は、刑事手続による刑罰権(実体法)の具体的実現に際して、別訴で二つ以上の有罪判決が併存し二重処罰の実質が生じるのを回避することにある。「公訴事実の同一性」とは、このような目的のための道具概念と理解することができる。
(2) 刑事手続の目的は、刑罰法令に該当する「罪となるべき事実」に対して、刑罰権を具体的に実現することにある(法1条)。仮に一つの刑罰権の対象となるはずの事実について、別訴が併存し二つ以上の有罪判決が重複して生じる可能性があれば、二重処罰のおそれがあり不都合である。一つの刑罰権については一つの有罪判決が対応してこれを1回だけ具体的に実現すべきであり、実質的な二重期状態の発生を防ぐためには、そのような可能性を生じる旅因を別訴で主張すること自体を許さないとすることが、合理的な方策である。そのためには、併存すれば二重処間の実質を持つような商立し得ない関係にある訴因間においては別所を許さず、当該訴訟手続において訴因の変更により処理することが要請される。
すなわち、1回の刑事手続により一度だけ処罰すれば足りるという意味で両立し得ない関係にある訴因の間では訴因の変更を認め、当該訴訟手続内で訴追意思の実現をはからなければならない。他方、複数の有罪判決が併存してもニ重処にならない関係にある事実に対する刑罰権の実現は、別訴に拠らなければならない。こうすることにより、手続の安定と実体法の具体的適用実現という刑事手続の目的が、適切に遂行できる。
(3) このような制度趣旨・目的から導かれる「公訴事実の同一性」とは、訴因と訴因とが1回の刑事手続内においてどちらか一方で一度だけ処罰すれば足りる両立し得ない関係にあり、別訴に拠り二つ以上の有罪判決が併存すれば二重処罰の実質を生じるような場合の訴因間の関係を意味すると解すべきである。
これには、二つの類型がある。
その第一は、両訴因に記載されている罪となるべき事実が実体法上一罪(単純一罪のほか、包括一罪,科上一罪等を含む)と扱われる関係にある場合である。
例えば、窃盗罪の訴因を同一機会における住居侵入・盗罪の訴因に変更する場合を想定すると、仮に住居侵入罪が別訴で同時に有罪となれば、科刑上一罪の関係にあり1個の刑罰権が実現されるべき事実について、2個の判決が生じる可能性があり不都合であるから、別訴を許さず、当該訴訟手続内において訴因の追加を可能としなければならない。こうして、実体法上一罪の関係にある訴因の記載の間には「公訴事実の同一性」が認められる。
これに対して,例えば、被告人✕がYにV所有の宝石の窃取を教唆した事実から、XがYの窃取してきたV所有の宝石を買い受けた事実への訴因変更を想定すると、両訴因は記載された事実を比較する限り、被害客体が共通し、犯行の日時・場所等が近接し、関与者Yが共通するとしても、刑罰権の個数とその具体的実現という観点からは、両者は別個に成立し併合罪の関係にあるので、別訴に拠り二つの有罪判決が併存しても二重処罰にはならない。むしろこのように両立する別個の刑罰権の対象を同一の手続内で扱うのは適切でないから。公訴事実の同一性は認められない。したがって訴因変更は許されないことになる。
以上は、講学上「公訴事実の単一性」の有無と称されてきた類型である。両訴因が一罪の関係にある前者の場合は、公訴事実の単一性が認められ訴因変更が可能、これに対し、両訴因が併合罪(数罪)の関係にある後者の場合には、単一性が認められないので訴因変更不可と説明されてきたところである。これは、訴因変更に対して罪数による規制が働く局面である[IV1(1)**)。
最高裁判所は、従前、このような場合も法312条の「公訴事実の同一性」の解釈問題として扱ってきた。例えば、「窃盗の幇助をした者が、正の盗取した財物を、その駐物たるの情を知りながら買受けた場合においては、窃盗幇助罪の外賍物故買罪が別個に成立し両者は併合罪の関係にあるものと解すべきである・・・・・・から、右盗助と駐物故買の各事実はその間に公訴事実の同一性を欠くものといわねばならない」と説示した判例がある(最判昭和33・2・21 刑集12巻2号 288頁)。もっとも、近時、最高裁判所は、前訴の確定判決の一事不再理効が及ぶかを判断するに際して「公訴事実の単一性」という講学上の術語を用いている(最判平成 15・10・7刑集57巻9号1002参照)。
これを後述するいまひとつの類型,すなわち講学上の「狭義の公訴事実の同一性」判定の場合と統一的に把握する説明があり得るとすれば、1個の刑罰権(実体法)に対し複数の判決が併存する可能性を回避する要請に基づく訴訟手続上の規律という点で共通するといえよう。
(4) 第二は、従来「狭義の公訴事実の同一性」の有無と称されてきた類型である。両訴因の罪となるべき事実の記載を比較したとき、両者が、1回の手続においてどちらか一方で一度だけ処すれば足りるかという観点から、両立し得ない択一関係にある場合である。すなわち、仮に別で両者が有罪とされれば実質的に二重処罰となり不当というべき関係が認められる場合である。
この判断は、裁判所が訴因の記載を相互に比較することによって行われる。
もっとも、訴因として表示される具体的な罪となるべき事実の記載は多様であるから、罪数による規制が働く第一類型の場合と異なり、明映画一的な基準を見出しにくい。別訴で同時に有罪とした場合に二重処罰の実質が生じるのを回避するという制度趣旨から、1回の手続でどこまで片付くことにすべきか、罪となるべき事実の各構成要素、すなわち犯罪主体としての被告人のほか、北罪の日時、犯罪の場所、犯罪の方法ないし行為の態様、被害法益の内容、その主体としての被害者、共犯関係などの一致、類似、近接、包合等の関係を総合的に評価し、検察官と被告人との間の対立利益を比較考量して決定される価値的な判断というほかはない(「総合評価説」)。
このような総合的考量判断を続し方向付ける明瞭な指標を敢えて見いだそうとすれば、それは、刑事手続で実現しようとする具体的刑罰権すなわち刑事実体法の解釈に帰着することになるように思われる。公訴事実の同一性を認めた判例の事案は、いずれも両訴因に記載された事実が実体法上いずれか一方の罪しか成立しないと解されるものである(実体法上の非両立関係・犯罪成立の択一関係)。もし犯罪成立が択一関係にある事実が別訴で有罪になる可能性があるとすれば、二重処罰の実質を生じ不都合であるから、これを回避するための訴訟手続上の方策として別訴を許さず、同一訴訟手続内で訴因変更が可能とされていると考えるのである。
以上のとおり、二重処罰を回避するための訴訟手続上の方策・要請という制度趣旨において,第一類型と第二類型は共通する。また、いずれも刑罰権の非両立性が基準となる点でも共通である。このような観点からは、法312条1項の解釈として従前説かれていた「公訴事実の単一性」と「狭義の公訴事実の同一性」の区別は不要ということになろう(もとより、前記のような問題の整理・区別があることは前提とする)。
(5)最高裁判所は、これまで公訴事実の同一性を判断するに際して、二つの枠組を用いてきた。両訴因の「基本的事実関係の同一」と、両訴因の「両立しない関係」(「非両立性」と呼ぶ)という判断枠組である。
「基本的事実関係の同一」という術語は、旧法時代の大審院判例以来のものであり、職権審理主義から当事者追行主義へと審判対象についての考え方の転換がなされてからも、判例はこの術語を用い続けている。もっとも判断の基礎となる「事実」の意味内容はかつての歴史的社会的事実ではなく、検察官(当事者)による罪となるべき事実の主張の具体的記載を比較することにより、表示された事実関係の共通性の程度を総合評価した判断がなされているといってよい。
これに対し「非両立性」の判断枠組は、両訴因の事実の記載を比較しただけでは日時・場所・行為態様等に相違する部分が多く、「基本的事実関係の同一」が必ずしも明瞭とはいえない事案において、なお前記の制度趣旨から訴因変更による1回的処理が適切・妥当と認められる場合において用いられている。
両者の判断枠組の関係をどのように理解するかについては、様々な見解があるが、非両立性の基準に言及した判例は、これを当該事業で両訴因の基本的事実関係の同一を肯定する理由として用いていることから、判文上は、非両立性の基準は基本的事実関係の同一に代わるものではなく、むしろこれを根拠付け。
補充・補完する趣旨で用いられているようにみえる。しかし,制度趣旨に立ち帰り統一的な説明を求めるとすれば、前記のとおり、二重処罰の実質が生じるのを回避する非両立性の基準ひいては実体法の解釈として犯罪の成立が択一的関係であることこそが、本質的で判例の根底に流れている基本法理であると捉えることができる。
*両者の判断枠組を合わせて明示した近時の判例として,最決和5・10・16集
77巻7号467頁がある。個人として無免許で宅地建物取引業を営んだという訴因と、法人の代表者として法人の業務に関し無免許で宅地建物取引業を営んだという訴因との間に公訴事実の同一性を認める判断をする際に、「両訴因は、・・・・・被告人を行為者とした同一の建物賃貸借契約を媒介する行為を内容とするものである点で事実が共通しており、両立しない関係にあるものであって、基本的事実関係において同一であるということができる。」と説示する。
(6)非両立性の基準に言及した判例のうち、下記の3つの事案は、両訴因に記載された事実の共通性に乏しいため、基本的事実関係の比較では公訴事実の同一性を判断することができなかった場合であり、このために非両立性の枠組が用いられたと見ることができる(下記のほかに非両立性の枠組を用いた判例として、最判昭和33・5・20刑集12巻7号1416頁[業務上横領罪に当たる事実と商法違反の非に当たる事実との関係が扱われた事案],最判昭和34・12・11刑集13巻13号3195頁[馬の売却代金の横領罪に当たる事実と馬そのものの窃取の事実との関係が扱われた事案」がある)。
第一の判例は、10月14日頃の静岡県長岡温泉における背広一着外数点の盜の起訴事実と、10月19日頃の東京都内における同じ背広一着の賊物牙保の事実との関係が扱われた事について、「両者は罪質上段な関係があるばかりでなく、本件においては事柄の性質上両者間に犯罪の日時場所等について相異の生ずべきことは免れないけれども、その日時の先後及び場所の地理的関係とその双方の近接性に鑑みれば、一方の犯罪が認められるときは他方の犯罪の成立を認め得ない関係にあると認めざるを得ないから、かような場合には、両訴因は基本的事実関係を同じくするものと解するを相当とすべく、従って公訴事実の同一性の範囲内に属する」と説示したものである(最判昭和29・5・14
8巻5号 676頁)。
この事の両訴因に記載された事実は、事実の構成要素に共通性が乏しいことから比較の方法では判断ができないが、記載された事実の非両立関係という観点からは、実体法の解釈上、罪の成立が択一関係であることが明瞭に判断できる。窃盗罪が成立するとすれば盗品関与罪は不可罰的事後行為となり。盗品関与罪が成立するとすれば窃盗罪は成立していないことになる。いずれか一方の罪で1回処罰すれば足りる関係にあるから訴因変更を認めるべき場合といえよう。
また。被告人が察官甲又は乙と共謀の上,運転免許証取得希望者13名から不正の請託を受けて15万円ないし 25万円の供与を受けたという枉法収賄の起訴事実と、被告人は運転免許取得希望者と共謀の上、甲又は乙に対し、13回にわたり 4万円ないし5万円を供与し、酒食などの応接待をした贈賄の事実との関係が扱われた事条について、「枉法収賄の訴因と・・・・・贈賄の訴因とは、収受したとされる賄賂と供与したとされる賄賂との間に事実上の共通性がある場合には、両立しない関係にあり、かつ。一連の同一事象に対する法的評価を異にするに過ぎないものであって、基本的事実関係においては同一であるということができる。したがって、右の二つの訴因の間に公訴事実の同一性を認めた原判断は、正当である」と説示した判例がある(最決昭和53・3・6刑集32巻2号218頁)。
これも収賄と贈賄という行為態様の相違から事実の比較による共通性を見いだすことは困難であろうが、共通する賄賂に関与した被告人が収賄側か贈賄側かによりどちらか一方の罪だけが成立するという意味で、非両立関係は明瞭である。さらに、被告人は甲と共謀の上、10月26日午後5時30分頃,栃木県芳賀郡二宮町の被告人方において甲をして自己の左腕部に覚醒剤水溶液を注射させて使用したという起訴事実と、被告人は、10月26日午後6時30分頃,茨城県下館市所在のスナック店舗内において、覚醒剤水溶液を自己の腕部に注射して使用した事実との関係が扱われた事案について、「両訴因は、その間に覚せい剤の使用時間、場所、方法において多少の差異があるものの、いずれも被告人の尿中から検出された同→覚せい剤の使用行為に関するものであって、事実上の共通性があり、両立しない関係にあると認められるから、基本的事実関係において同一であるということができる。したがって、右両訴因間に公訴事実の同一性を認めた原判断は正当である」と説示したものがある(最決昭和63・
10・25刑集42巻8号1100頁)。
この場合両訴因の記載の比較だけでは、むしろ両立併存の可能性も認められそうであるが、検察官の釈明を考慮していずれの事実も尿鑑定結果に対応する
1回の使用行為を起訴した趣旨であるということであれば、いずれか一方の罪しか成立しないこととなる関係と判断できるのである。
(7) 以上のような非両立性の判断枠組は、前述した公訴事実の同一性という道具概念の制度趣旨からして、実体法上の刑罰権の非両立性すなわち法律上の非両立性を意味する。証拠に基づく事実認定上の判断の矛盾・非両立をいうものではない。
判例はしばしば訴因の記載に「事実上の共通性」があることに言及しつつ、両訴因に記載された事実の非両立性を判定しているが、それはいずれも訴因に表示されている事実関係の一定の共通性をもとに法律上の非両立関係を判断しているものと捉えるべきである。訴因変更が問題となった審理の段階における裁判所の事実認定(心証)そのものが両立性判断の「対象」とされているとは思われない。判断対象はあくまで検察官が起訴状において主張する罪となるべき事実である。検察官が訴因変更を行う場面の二つの型〔W1(3)において、いまだ証拠調べが開始される前の「因変更請求と、事実認定が可能な程度に出拠調べが進行している場面との間で、判断の対象が異なるのは不整合であろう。
新因変更の可否は、裁判所の事実認定とは別個に処理されるべき法的判断であり、検察官の主張する事実相互の関係が法律上非両立で、いずれか一方で処罰すれば足り、別で有罪となれば二重処罰の実質を生じる場合かどうかを判定すべきである。
*例えば、相互にアリバイの関係に立つ同一時期の異なる場所における報告人の犯行を記載した両所因は、事実認定の次で非両立ではあろうが、検察官の主張する事実として比較した場合には、両者のいずれか一方で処割すれば足り、別訴で有罪となれば二重処罰の実質が生じるような意味での両立し得ない関係、すなわち刑罰権の非両立関係ではない。事実認定の次でいずれかが誤っている主張、ないし、いずれもが認定できない主張であるに過ぎない。したがって、このような場合に公訴事実の同一性を認めることはできない。
また、例えば、Xが自動車を運転していに衝突し過失運転致死の結果を発生させた罪の訴因とXがVを死亡させた運転者Yの身代わりとなったという犯人隠避罪の訴因とは、確かに論理的には両立し得ないが、その主張の間におよそ事実上の共通性が認められない上、刑罰権の実現に際し両者が別訴で有罪とされると二重処罰の実質を生じるかという意味での両立し得ない関係にあるとはいえない。これも事実認定の次元でどちらかの検察官主張が誤っているという問題であり、法律上いずれか一方の罪が択一的に成立するという関係、刑罰権の非両立関係ではない。したがって,両者の間には公訴事実の同一性がなく訴因変更できないのは当然である。
(8)「公訴事実の同一性」を判断するため。訴因と訴因との事実関係を比較し、あるいは非両立関係を判定するに際して、裁判所はどのような範囲の事実を判断の基礎とすることができるか。この問題について、見解は分かれている。
裁判官の論者の中には、基本的事実関係の同一や両訴因間の非両立性を判断するために両訴因の背後にある社会的事実を基礎とすべき場合があるとの見解もある。例えば、訴因間の非両立性とは、両訴因の背後にある社会的事実が重なり合って同一の社会的事実を構成している場合において、両訴因が両立しない関係にあることをいうのであり、社会的事実関係は、単なる検察官の主張として、訴因中に記載され又は釈明されるだけで足りるものではなく、実体的な裏付けを必要とする。実体物としてのいわゆる社会的事実であるとの見解である。
しかし、「訴因の背後にある社会的事実」を訴訟外に実在するものとして前提とするのは不適当である。現行法が想定する裁判所の審判対象は、検察官の設定主張する訴因以外の何物でもなく、それ以外の何物かはどこを探しても無いのである。訴因変更もまた審判対象である検察官の新たな主張の提示なのであるから、審判対象の「同一性」の判断は、検察官が当初起訴状に記載して設定主張していた訴因の記載と,検察官がそれに変更するよう求めている訴因の記載との相互の事実を比較して行うほかはない。
訴因に明示・記載された事実の比較だけでは、両訴因間の非両立性や基本的事実関係の共通性が分からない場合。裁判所は、検察官の主張内容を一層具体的に明らかにさせるために釈明を求め、検察官が求釈明に応じて「主張する事実」を判断の基礎にすることもできる。もとよりこの「事実」は、訴因と同様に検察官の主張であって、社会的事実ではない。
証拠調べ開始前の段階で訴因変更が求められた場合。裁判所の判断の基礎となるのは、訴因に明示・記載された事実と検察官が求釈明に応じて主張する事実以外に想定できない。これに対して、証拠調べが進行した段階で訴因変更が求められた場合には、その時点までに行われた「証拠調べの結果により裁判所が認定できる事実」というものが想定できる。この場合、この事実をも、公訴事実の同一性の判定の基礎とすることができるか。
確かに裁判所は、現に、訴因変更が問題となった段階・時点において証拠調べの結果により裁判所が認定できる事実を判断の基礎に含めているものと思われる。例えば、前記昭和53年判例において、収受の賄賂と供与の賄賂が別個の金員ではなく「事実上の共通性がある」との事実である。しかし、このことから裁判所が訴因の背後に実在する社会的事実を想定・考慮していると捉えるべきではない。証拠調べが進んでいても裁判所が判断の「対象」としているのは、あくまで検察官の主張する事実相互間の関係である点で異なるところはない。
訴因変更の可否を決定する時点において、それまでの証拠調べの結果により裁判所が認定できる事実がある場合に、それを判断の基礎にするのは、公訴事実の同一性の判定権限が、検察官ではなく裁判所にあるからである〔前記(1)。確かに検察官には審判対象たる訴因を設定・変更する権限が付与されているが、現行法制度は、その変更可否の判断については、これを裁判所の権限としている点に留意する必要がある。例えば、前記事案において、検察官の「主張」に反し収受の賄賂と供与の賄賂とが別個の金員であることが証拠上明らかとなった場合、両訴因は両立する関係に立つことになり、公訴事実の同一性は否定されることになるかれたれは公転部の同一性の判定補取が設利所にあり。その心証が優越してこれに反する検察官の主張は採用できないからである。
訴因変更可否の判断時点において、「公訴事実の同一性」の判定権者である裁判所の心証が優越してこれと相答れない検察官の主張事実が採用されず、この意味で、判断に際して裁判所の心証が基礎とされたとしても、それは訴因の背後にある社会的事実を基礎とした判断とは異なる。裁判所の心証は、判決賞告までの間、ゆく河の流れのように流転する浮動的なものであり、訴因変更可否の判断の基礎として考慮されているのは、あくまで判断時点において裁判所が認定できる事実にとどまる。このような事態の説明において、訴訟外に別途実在して動かない「社会的事実」を想定する必要はなく、またそのような想定は、現行法の基本的構造に反し適切でないというべきである。
*ある時点における裁判所の心証に照らして公訴事実の同一性があるとの判定をしたとしても、その後検察官の主張事実と証拠とが合わないことが判明した場合には、その時点における裁判所の心証に照らして、前に行った訴因変更許可決定を取り消せば足りる。