証拠法|証拠法・総説|証拠法の意義と基本原則|直接主義
2025年11月19日
『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日
ISBNISBN978-4-641-13968-8
(1)「直接主義」は、ヨーロッパ大陸法圏の近代的刑事裁判形成過程で創出された証拠に関する原則であり、歴史的・機能的には、前近代の非公開・書面審理による裁判を打破し、公開法廷において直接取り調べられた口頭の供述を裁判の基礎とするという意味で、「口頭主義」と一体として扱われた。もっとも。直接主義の核心は、事実認定者と証拠との関係を規律する点にあり、公判延における証拠調べや陳述の方式に関する口頭主義とは別個のものである〔第3編公判手続第1章112〕。
ドイツ刑事訴訟法は、事実の立証が人の知覚に基づくときは、この者を公判において直接尋問しなければならず、すでに行われた尋問の調書または書面による供述の朗読でこれに代えることはできない旨の原則規定を設けている。直接の尋問に代わる書面の朗読は、例外的にのみ許される。機能的には、公判前
段階・捜査段階で作成された供述録取書面の証拠としての利用を原則として認めず、公判延における尋間から直接心証を形成することを要請する。これが直接主義の核心部分である。
*ドイツ法の規律は、公判期日における供述に代えて書面を証拠とすることを原則として認めない点で、わが国の現行法 320条1項やその母法たるアングロ=アメリカ法圏の伝開法則と同様の機能を有する。他方、捜査段階で被疑者等の供述内容を聴いた捜査官が、公判で尋問を受け、自らが知覚した捜査段階におけるその者の供述内容を証言することは許されると解されている点で、伝開証人をも排除する伝開法則の規律と異なる。
(2)わが国の旧刑事訴訟法は、ドイツ法の影響を強く受けたものであったが、ドイツ法の特色である直接主義の原則規定を設けることはなかった(陪審法には直接主義的規定があった)。むしろ、その適用例外として、予審判事による尋問調書のほか、原供述者の尋問不能及び訴訟関係人に異議なきときのすべての供述録取書の利用を認めていた。このため、捜査段階で作成された供述録取書面も公判で事実認定の資料とされる場合があったのである。
(3) 現行法は、法320条でアングロ=アメリカ法由来の伝聞法則を導入したものと理解されているが、法321条以下の例外規定が供述録取書面を中心とし、裁判官・検察官面前調書に特別の例外規定を設けるなど、固有の特色がある。
また、現行法施行以来、近年の裁判員制度導入までの法運用は、法326条・
321条1項2号・322条等の伝聞例外規定を介して、捜査段階で作成された供述録取書面が証拠となる運用が原則化し、公判期日における証人尋問は例外的となる状況が固まっていた。これには、旧法以来の捜査段階で作成された供述
録取書面に依拠しようとするわが国の法律家の指向が影響していた可能性があろう。
もし仮にこのような運用とは異なり、法 320条1項の規律が運用上も原則化していれば、ドイツ法の直接主義と機能的に類似した、そしてまた、アングロ=アメリカ法圏の裁判とも類似した公判期日における証人尋問・口頭供述中心の刑事裁判が実現していた可能性があったように思われる。しかし、裁判員制度の導入を伴う司法制度改革まで,従前の慣行が変化する兆しはなかった。
(4) このような状況の下で、法320条以下の証拠法規定には何ら変更を加えないまま、裁判員制度が導入された。捜査段階で作成された多量の供述録取書面を職業裁判官が閲読・分析していた従前のような事実認定が到底不可能と予測される中。「直接主義・口頭主義」という術語が、裁判員裁判を的確に作動機能させる鍵としてにわかに専認識され、書面の期読よりも公判廷における直接尋問・口頭供述こそが裁判員に分かりやすい審理方式であるとして積極的に評価されつつあるのが現状である。現行法の下での「直接主義・口頭主義」の理解については、前記のとおりである〔第3編公判手税第1章12)。
また、控訴審の事実認定審査の在り方に関する前記最判平成 24・2・13 (3(3)*〕の説示も、第1審公判の様相が、現行法の当初の想定であったと思われる公判中心主義と直接主義に接近しつつある近時の状況を反映している。
* 第1審が従前の運用のごとく書証に依拠するところが大きければ、書面審査を行う控訴審も第1審とほとんど同じ立場で事件そのものを審理することが可能であったかもしれない(書証に依存した従前の第1審の運用こそが、控訴審が第1審の記録から直接心証を形成し、これと第1審の認定を比較するという審査を可能としてきたのである)。しかし、第1審の直接主義的運用が徹底されれば、事実認定に対する上訴審の審査は、前記のような「合理性」の事後審査にならざるを得ないであろう。このような事後審査審としての控訴審の在り方もまた,現行法が初から想定していたとみられるものである〔第6編上訴13〕。
ドイツ刑事訴訟法は、事実の立証が人の知覚に基づくときは、この者を公判において直接尋問しなければならず、すでに行われた尋問の調書または書面による供述の朗読でこれに代えることはできない旨の原則規定を設けている。直接の尋問に代わる書面の朗読は、例外的にのみ許される。機能的には、公判前
段階・捜査段階で作成された供述録取書面の証拠としての利用を原則として認めず、公判延における尋間から直接心証を形成することを要請する。これが直接主義の核心部分である。
*ドイツ法の規律は、公判期日における供述に代えて書面を証拠とすることを原則として認めない点で、わが国の現行法 320条1項やその母法たるアングロ=アメリカ法圏の伝開法則と同様の機能を有する。他方、捜査段階で被疑者等の供述内容を聴いた捜査官が、公判で尋問を受け、自らが知覚した捜査段階におけるその者の供述内容を証言することは許されると解されている点で、伝開証人をも排除する伝開法則の規律と異なる。
(2)わが国の旧刑事訴訟法は、ドイツ法の影響を強く受けたものであったが、ドイツ法の特色である直接主義の原則規定を設けることはなかった(陪審法には直接主義的規定があった)。むしろ、その適用例外として、予審判事による尋問調書のほか、原供述者の尋問不能及び訴訟関係人に異議なきときのすべての供述録取書の利用を認めていた。このため、捜査段階で作成された供述録取書面も公判で事実認定の資料とされる場合があったのである。
(3) 現行法は、法320条でアングロ=アメリカ法由来の伝聞法則を導入したものと理解されているが、法321条以下の例外規定が供述録取書面を中心とし、裁判官・検察官面前調書に特別の例外規定を設けるなど、固有の特色がある。
また、現行法施行以来、近年の裁判員制度導入までの法運用は、法326条・
321条1項2号・322条等の伝聞例外規定を介して、捜査段階で作成された供述録取書面が証拠となる運用が原則化し、公判期日における証人尋問は例外的となる状況が固まっていた。これには、旧法以来の捜査段階で作成された供述
録取書面に依拠しようとするわが国の法律家の指向が影響していた可能性があろう。
もし仮にこのような運用とは異なり、法 320条1項の規律が運用上も原則化していれば、ドイツ法の直接主義と機能的に類似した、そしてまた、アングロ=アメリカ法圏の裁判とも類似した公判期日における証人尋問・口頭供述中心の刑事裁判が実現していた可能性があったように思われる。しかし、裁判員制度の導入を伴う司法制度改革まで,従前の慣行が変化する兆しはなかった。
(4) このような状況の下で、法320条以下の証拠法規定には何ら変更を加えないまま、裁判員制度が導入された。捜査段階で作成された多量の供述録取書面を職業裁判官が閲読・分析していた従前のような事実認定が到底不可能と予測される中。「直接主義・口頭主義」という術語が、裁判員裁判を的確に作動機能させる鍵としてにわかに専認識され、書面の期読よりも公判廷における直接尋問・口頭供述こそが裁判員に分かりやすい審理方式であるとして積極的に評価されつつあるのが現状である。現行法の下での「直接主義・口頭主義」の理解については、前記のとおりである〔第3編公判手税第1章12)。
また、控訴審の事実認定審査の在り方に関する前記最判平成 24・2・13 (3(3)*〕の説示も、第1審公判の様相が、現行法の当初の想定であったと思われる公判中心主義と直接主義に接近しつつある近時の状況を反映している。
* 第1審が従前の運用のごとく書証に依拠するところが大きければ、書面審査を行う控訴審も第1審とほとんど同じ立場で事件そのものを審理することが可能であったかもしれない(書証に依存した従前の第1審の運用こそが、控訴審が第1審の記録から直接心証を形成し、これと第1審の認定を比較するという審査を可能としてきたのである)。しかし、第1審の直接主義的運用が徹底されれば、事実認定に対する上訴審の審査は、前記のような「合理性」の事後審査にならざるを得ないであろう。このような事後審査審としての控訴審の在り方もまた,現行法が初から想定していたとみられるものである〔第6編上訴13〕。