幸福追求権
2025年11月19日
『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日
ISBNISBN 978-4-426-13029-9
ガイダンス
憲法13条は、以下の詳細な人権規定を置いているが、これらの規定だけでは、個人の尊重(13条前段)を十分保障することが困難です。そのため、13条後段が規定する「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)は、プライバシー権や自己決定権等憲法に明記されていない人権の根拠となる権利であると考えられています。
京都府学連事件 (最大判昭44.12.24)
■事件の概要
大学生Xは、京都市公安条例に基づいて許可された京都府学生自治会連合(京都府学連)主催のデモ行進に参加したところ、隊列をくずした行進がデモ許可条件に違反すると考えた警察官Yらから写真撮影された。これに対し、憤慨したXは、旗竿でYの下あごを突いて負傷させたため、公務執行妨害罪および傷害罪で起訴された。
判例ナビ
訴訟において、Xは、「警察官による写真撮影は、肖像権すなわち承諾なしに自己の容ぼうを撮影されない権利を保障した憲法13条に違反し、また、裁判官の令状なしに撮影した点において令状主義を規定した憲法35条にも違反する」と主張しました。しかし、第1審、控訴審ともに、Xを言罪としたため、Xが上告しました。
■裁判所の判断
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであって、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。しかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけではなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであって、警察官にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法2条1項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない。そこで、その許容される限度について考察するに、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法218条2項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の周辺または被写体とされた物件の近くにいたためにこれが除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになっても、憲法13条、35条に違反しないものと解すべきである。
解説
本判決は、本人の同意も裁判官の令状もない写真撮影であっても、①現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であること、②証拠保全の必要性と緊急性があること、③撮影が一般に許容される相当な方法によって行われることという3つの要件を満たす場合には、憲法13条、35条に違反しないとしました。そして、Yの写真撮影は、これらの要件を満たす適法な職務執行行為であったとして、公務執行妨害罪と傷害罪の成立を認めてXを言罪とした控訴審の判断を支持し、Xの上告を棄却しました。
この分野の重要判例
◆パブリシティ権の侵害と不法行為 (最判平24.2.2)
人の氏名、肖像等(以下、併せて「氏名等」という。)は、個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有すると解される…。そして、肖像等は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力の排他的な利用を内容とする権利(以下「パブリシティ権」という。)は、肖像権それ自体の商業的価値に基づくものであるから、上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる。他方、肖像等に顧客吸引力を有する者は、社会の注目を集めるなどして、その肖像等を時事報道、論説、創作物等に使用されることもあるのであって、その使用を正当な表現行為等として受忍すべき場合もあるというべきである。そうすると、肖像等を無断で使用する行為は、①肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し、②商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し、③肖像等を商品等の広告として使用するなど、専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に、パブリシティ権を侵害するものとして、不法行為法上違法となると解するのが相当である。
解説
本件は、人気女性歌手が、自らを被写体とする写真を無断で週刊誌に掲載した出版社に対し、Xの肖像が有する顧客吸引力を排他的に利用する権利(パブリシティ権)が侵害されたとして不法行為に基づく損害賠償を求めたという事案です。本判決は、人格権の内容の1つとしてパブリシティ権を初めて認めた上で、パブリシティ権侵害が不法行為法上違法となる判断基準を明らかにしました。
過去問
個人の容ぼうや姿態は公道上などで誰もが容易に確認できるものであるから、個人の私生活上の自由の一つとして、警察官によって本人の承諾なしにみだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を認めることはできない。(行政書士2021年)
人の氏名、肖像が商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合において、当該顧客吸引力を排他的に利用する権利は、人格権に由来する権利の内容を構成する。(司法書士2022年)
1× 判例は、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有するとしています(最大判昭44.12.24)。
2 ○ 判例は、人の氏名、肖像等が有する顧客吸引力を排他的に利用する権利(パブリシティ権)が人格権に由来する権利の内容を構成することを認めています(最判平24.2.2)。
前科照会事件 (最判昭56.4.14)
■事件の概要
A自由党東京都連で技術指導員をしていたXは、同社から解雇されたことを不服として、裁判所に解雇無効による地位保全仮処分等の申請、中央労働委員会に対する救済の申立て等を行っていた。その後、Aの代理人B(弁護士)が所属する京都弁護士会を通じて、Y(京都市長)に対し、Xの前科及び犯罪経歴(前科等)の有無を照会したところ、C(京都市中京区区長)は、同弁護士会に対し、Xには道路交通法等の前科がある旨を回答する書面(本件回答書)を交付した。この回答書によってXの前科等を知ったAは、事件関係者等にXの前科等を公表するとともに、Xが前科等を隠していたことは解雇事由にあたるとしてXを非難した。そこで、Xは、本件回答書によりプライバシーの権利(前科を知られたくない権利)が違法に侵害されたとして、Yに対し損害賠償を求める訴えを提起した。
判例ナビ
第1審は、本件回答に違法性はないとしました。が、控訴審は、本件回答は違法であるとして、Xの請求を一部容認しました。そこで、Yが上告しました。
■裁判所の判断
前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに開示されないという法律上の保護に値する利益を有するのであって、市区町村長が、本来犯罪歴の照会のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏らしてはならないということになるところである。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となっていて、市区町村長に照会して回答を得るのでなければ他に立証方法がないような場合には、裁判所から前科等の照会を受けた市区町村長は、これに応じて前科等につき回答することができるものであり、同様な場合に弁護士法23条の2に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではないが、その取扱には格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件において、Bの照会にCが回答したところ、Xは、京都市中京区役所内の申出により京都弁護士会を照会庁とする照会申出書をBに交付させたので、同弁護士会が本件照会を必要とする理由として、「右照会文書に添付されているAとの訴訟の提出用に中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」とあったにすぎないのであり、このような場合に、市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたるものと解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、Cの本件報告を違法による公権力の違法な行使にあたるとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。
解説
本判決は、プライバシーという言葉を使っていませんが、前科等をみだりに公開されない自由をプライバシー権の1つとして認めたものと評価されています。なお、現在の個人情報保護法の下において、犯罪の経歴(前科)は、特に慎重な取扱いが求められる要配慮個人情報の1つとして規定されています(個人情報保護法2条3項、行政機関個人情報保護法2条4項)。
過去問
前科は人の名誉に直接にかかわる事項であり、前科のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する。(司法書士2022年)
1 ○ 判例は、前科は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するとしています(最判昭56.4.14)。
エホバの証人輸血拒否事件 (最判平12.2.29)
■事件の概要
キリスト教の宗派「エホバの証人」の信者Xは、悪性腫瘍の摘出手術を受けるため国立Y病院に入院したが、その際、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を拒否することを担当のZ医師に伝えた。Y病院では、手術を受ける患者が「エホバの証人」の信者である場合、できる限り無輸血で対応するが、輸血以外に救命手段がない場合には、患者やその家族の同意がなくても輸血をするという方針を採っていたが、その方針をXに伝えていなかった。その後、Zは、Xの手術を実施したが、輸血をしないとXを救うことはできないと判断し、Xの同意を得ずに輸血した。そこで、Xは、Zに対し、自己決定権を侵害したことによる不法行為を理由として、国に対しては使用者責任を理由として、損害賠償を求める訴えを提起した。
判例ナビ
第1審はXの請求を棄却しましたが、控訴審はXの請求を認容したため、国およびZが上告しました。
■裁判所の判断
本件において、Zが、Xの肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合には、そのような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、Xが、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることなく手術を受けることを固く希望しており、輸血を伴わない手術を受け、手術の際に輸血の可能性が具体的に高くなったことがZに知られていた本件の事実関係の下では、Zは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、Xに対し、Yとしてはそのような事態に陥ったときには輸血をするとの方針を採っていることを説明した上で、Yへの入院を継続した上でその下で本件手術を受けるか否かをX自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。
ところが、Zは、本件手術に至るまでの約1か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、Xに対してYが採用していた右方針を説明せず、同人に対して輸血する可能性のあることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、Zは、右説明を怠ったことにより、Xが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人に対して負うべき精神的苦痛を慰謝すべき義務を負うものというべきである。また、国は、Zの使用者として、Xに対し民法715条に基づく不法行為責任を負うものといわなければならない。
解説
本判決は、「輸血を伴う医療行為を拒否する」という意思決定をする権利」が人格権の内容として尊重されなければならないとした上で、輸血に関する医師の説明義務違反によってその人格権が成立するとしました。ただし、医療の最終段階について、患者が「自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権」に由来する明治したものに対し、本判決は、自己決定権に言及しませんでした。
過去問
患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合であっても、このような意思決定をする権利は、患者自身の生命に危険をもたらすおそれがある以上、人格権の一内容として尊重されるということはできない。(公務員2020年)
1× 判例は、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならないとしています(最判平12.2.29)。
性同一性障害者特例法3条1項4号の合憲性 (最大決令5.10.25)
■事件の概要
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)3条1項は、家庭裁判所は、性同一性障害者であって同項各号のいずれにも該当するものについて、性別の取扱いの変更の審判(性別変更審判)をすることができる旨を規定している。そして、特例法3条1項4号(本件規定)は、「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」と規定しているが、本件規定に該当するには、抗がん剤の投与等によって生殖腺の機能全体が永続的に失われている等の事情のない限り生殖腺除去手術(具体的には性別適合手術を受けて戸籍上の性別とは別の性器がある場合は摘出手術)を受ける必要があるとされている。生物学的な性別は男性であるが性別の自己認識は女性であるXは、特例法3条1項に基づき、性別の取扱いの変更の審判(性別変更審判)を申し立てた。
判例ナビ
原審は、本件規定に該当しないとしてXの申立てを却下しました。そこで、Xは、本件規定は、憲法13条、14条1項に違反し無効であると主張して最高裁判所に特別抗告しました。
*通常の不服申立てができない決定・命令に対して、憲法違反を理由として最高裁判所にする不服申立て。
■裁判所の判断
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由は、同条の保障する権利に含まれるものと解される。自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由は、人格権の一内容として尊重されなければならない。単に「身体への侵襲を受けない自由」というが、人格的生存に不可欠なものとして極めて重要である。このような自由を制約するものである生殖腺除去手術は、精巣又は卵巣を摘出する手術であり、身体に対する侵襲を伴い不可逆的な結果をもたらす身体への侵襲であるから、このことをなくして生殖腺除去手術を受けることが強制されない自由に対する重大な制約に当たる。本件規定は、性同一性障害者のうち自らの性別の取扱いの変更により性別変更審判を求める者について、原則として生殖腺除去手術を受けることを前提とする要件を課すものであるのであり、性同一性障害者が自己の意思に反して生殖腺除去手術を受けることを強制されない自由を制約するものにほかならない。しかしながら、本件規定は、性同一性障害者の立場としては生殖腺除去手術を受けない性同一性障害者に対しても、性別変更審判を受けるためには、原則として同手術を受けることを求めるものであるということができる。
他方で、性同一性障害者の性別の取扱いに係る法上の取扱いの変更を受けることは、法的、社会的な諸側面において個人の基本的な人格的生存と結び付いた重要な法的利益というべきである。…。そうすると、本件規定は、治療として生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対して、性別の取扱いの変更という法的利益を享受するために、同手術を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができる。このような制約は、性同一性障害者が一般に治療として生殖腺除去手術を受ける必要が医学的に検討するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないものと解される。
そして、本件規定の目的の合理性を肯定し、目的と手段との間に実質的な関連性があるか否かについては、本件規定が目的の達成のために必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度を衡量して判断されるべきものと解するのが相当である。
そこで、本件規定の目的についてみると、本件規定は、性別変更審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子をもうけることがあれば、親子関係等に関する問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねないこと、並びにこれと生物学的な性別に基づく男女の性別区別されてきた中で急激な変化ではなく漸進的な変化に繋がる措置をとるべきとの配慮から、性別変更審判を受けた者の身体的な性別違和感を緩和するための措置であるとされる。
しかしながら、急激な変化を避けるという社会的な配慮から、性別変更審判を受ける者に生物学的に生殖機能がないことを当然の前提とすると解される。性別変更審判を求める者の中には、自己の身体的性別に違和感を抱きつつも生殖腺除去手術を受ける意思までは有しない者も少なくないと思われるところ、本件規定により子をもうけることを当然の前提とするものであり、生殖腺除去手術を受けた結果として生殖機能が失われたとしても、生殖腺除去手術を受けずに性別変更審判を受けた者との間に問題が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる…。性別変更審判を受けた者が変更前の性別の生殖機能により子をもうけるとは、「女である父」や「男である母」が生ずるという事態が生じ得ることを指し、そもそも平成20年改正により、成年の子がいても性同一性障害者が性別変更審判を受けることになった。「男である母」が存在するという事態が生じ得るところ、そもそも平成20年改正により、成年の子がいる性同一性障害者が性別変更審判を受けることも可能になったのである。「女である父」の存在が肯定されることになったため、現在の法制において、このことにより親子関係等に関わる混乱が社会に生じるかどうかは明らかでない。これに加えて、特例法の施行から約19年が経過し、これまでに1万人を超える者が性別変更審判を受けている中で、性同一性障害者をめぐる社会の理解と関心も広まりつつあり、その社会生活上の問題点を解決するための環境整備に向けた取組等社会の様々な領域における対応も行われていることを考えると、上記の事態が生じ得ることが社会全体にとって速やかで急激な変化に当たるとまではいい難い。
以上検討したところによれば、特例法の制定当時に想定されていた本件規定による制約の必要性は、その前提となる諸事情の変化により低減しているというべきである。
次に、特例法の制定以降の医学的知見の進展も踏まえつつ、本件規定による具体的な制約の態様及びその程度等をみると、医学的に、性同一性障害者の治療として生殖腺除去手術が必須とは考えられておらず、性同一性障害者に対する治療は、個別の性同一性障害者が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることをにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解されるところ…。特例法の制定後、性同一性障害者に対する医学的知見が進展し、性同一性障害者を示す者の示す状況に応じて行われる治療の在り方の多様性に関する議論が一般化して段階的治療という考え方が採られるようになり、性同一性障害者に該当するとしても治療をどのような段階で受ける必要かは当事者によって異なるものとされたことにより、必要と治療を受けるか否かは医学的知見に関連性をもって決定されるものではなくなっているといわざるを得ない。
そして、本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、現時点においては性同一性障害者に対し身体への侵襲を受けない自由を保障して簡易な身体的治療であるホルモン療法と心理療法等により性同一性を自覚した性別に近づいた法上の取扱いの変更を受けるという選択肢を奪うものと解せざるを得ず、また、本件規定の目的を達成するためには、そのような医学的治療によって性別変更審判を受けた者の身体の性別違和感を緩和するための措置であると解するのが相当であるとして、違憲無効とした上で国が損していることを考慮すると、違法という結論にたどり着いているというべきである。
そうすると、本件規定は、上記のような考察に鑑みるとどういう経緯により過剰な制約を課すものに当たる。本件規定による制約の程度は重大なものというべきである。
以上をふまえると、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が低減しており、その程度が重大なものとなっていることなど総合的に勘案して、その制約が必要かつ合理的なものというべきではない。に配慮すれば、必要かつ合理的なものということはできない。
よって、本件規定は憲法13条に違反するものであり、もはや憲法13条に適合するものではないというべきである。
解説
本件は、性別変更審判を受けるために原則として生殖腺除去手術を受けることを求める性同一性障害者特例法3条1項4号(本件規定)の合憲性が争われた事案です。本決定は、身体への侵襲を受けない自由が、人格的生存に関わる重要な権利として憲法13条によって保障されていることを明らかにするとともに、生殖腺除去手術の強制が身体への侵襲を受けない自由に対する重大な制約に当たることを認めました。そして、本決定は、性別の取扱いの変更を受けるという重要な法的利益を享受する権利を行使することを断念するかという過酷な二者択一を迫る深刻な制約を課すものであるとし、本家規定を憲法13条、14条1項に違反しないとしていた従来の判例(最決平31.1.23)を変更して、憲法13条に違反するとしました。
なお、Xは、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」と規定する特例法3条1項5号についても、憲法13条、14条1項に違反すると主張しましたが、この点については、審理を尽くすため本件を原審に差し戻しました。
憲法13条は、以下の詳細な人権規定を置いているが、これらの規定だけでは、個人の尊重(13条前段)を十分保障することが困難です。そのため、13条後段が規定する「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)は、プライバシー権や自己決定権等憲法に明記されていない人権の根拠となる権利であると考えられています。
京都府学連事件 (最大判昭44.12.24)
■事件の概要
大学生Xは、京都市公安条例に基づいて許可された京都府学生自治会連合(京都府学連)主催のデモ行進に参加したところ、隊列をくずした行進がデモ許可条件に違反すると考えた警察官Yらから写真撮影された。これに対し、憤慨したXは、旗竿でYの下あごを突いて負傷させたため、公務執行妨害罪および傷害罪で起訴された。
判例ナビ
訴訟において、Xは、「警察官による写真撮影は、肖像権すなわち承諾なしに自己の容ぼうを撮影されない権利を保障した憲法13条に違反し、また、裁判官の令状なしに撮影した点において令状主義を規定した憲法35条にも違反する」と主張しました。しかし、第1審、控訴審ともに、Xを言罪としたため、Xが上告しました。
■裁判所の判断
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであって、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。しかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけではなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであって、警察官にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法2条1項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない。そこで、その許容される限度について考察するに、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法218条2項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の周辺または被写体とされた物件の近くにいたためにこれが除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになっても、憲法13条、35条に違反しないものと解すべきである。
解説
本判決は、本人の同意も裁判官の令状もない写真撮影であっても、①現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であること、②証拠保全の必要性と緊急性があること、③撮影が一般に許容される相当な方法によって行われることという3つの要件を満たす場合には、憲法13条、35条に違反しないとしました。そして、Yの写真撮影は、これらの要件を満たす適法な職務執行行為であったとして、公務執行妨害罪と傷害罪の成立を認めてXを言罪とした控訴審の判断を支持し、Xの上告を棄却しました。
この分野の重要判例
◆パブリシティ権の侵害と不法行為 (最判平24.2.2)
人の氏名、肖像等(以下、併せて「氏名等」という。)は、個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有すると解される…。そして、肖像等は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力の排他的な利用を内容とする権利(以下「パブリシティ権」という。)は、肖像権それ自体の商業的価値に基づくものであるから、上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる。他方、肖像等に顧客吸引力を有する者は、社会の注目を集めるなどして、その肖像等を時事報道、論説、創作物等に使用されることもあるのであって、その使用を正当な表現行為等として受忍すべき場合もあるというべきである。そうすると、肖像等を無断で使用する行為は、①肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し、②商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し、③肖像等を商品等の広告として使用するなど、専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に、パブリシティ権を侵害するものとして、不法行為法上違法となると解するのが相当である。
解説
本件は、人気女性歌手が、自らを被写体とする写真を無断で週刊誌に掲載した出版社に対し、Xの肖像が有する顧客吸引力を排他的に利用する権利(パブリシティ権)が侵害されたとして不法行為に基づく損害賠償を求めたという事案です。本判決は、人格権の内容の1つとしてパブリシティ権を初めて認めた上で、パブリシティ権侵害が不法行為法上違法となる判断基準を明らかにしました。
過去問
個人の容ぼうや姿態は公道上などで誰もが容易に確認できるものであるから、個人の私生活上の自由の一つとして、警察官によって本人の承諾なしにみだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を認めることはできない。(行政書士2021年)
人の氏名、肖像が商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合において、当該顧客吸引力を排他的に利用する権利は、人格権に由来する権利の内容を構成する。(司法書士2022年)
1× 判例は、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有するとしています(最大判昭44.12.24)。
2 ○ 判例は、人の氏名、肖像等が有する顧客吸引力を排他的に利用する権利(パブリシティ権)が人格権に由来する権利の内容を構成することを認めています(最判平24.2.2)。
前科照会事件 (最判昭56.4.14)
■事件の概要
A自由党東京都連で技術指導員をしていたXは、同社から解雇されたことを不服として、裁判所に解雇無効による地位保全仮処分等の申請、中央労働委員会に対する救済の申立て等を行っていた。その後、Aの代理人B(弁護士)が所属する京都弁護士会を通じて、Y(京都市長)に対し、Xの前科及び犯罪経歴(前科等)の有無を照会したところ、C(京都市中京区区長)は、同弁護士会に対し、Xには道路交通法等の前科がある旨を回答する書面(本件回答書)を交付した。この回答書によってXの前科等を知ったAは、事件関係者等にXの前科等を公表するとともに、Xが前科等を隠していたことは解雇事由にあたるとしてXを非難した。そこで、Xは、本件回答書によりプライバシーの権利(前科を知られたくない権利)が違法に侵害されたとして、Yに対し損害賠償を求める訴えを提起した。
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第1審は、本件回答に違法性はないとしました。が、控訴審は、本件回答は違法であるとして、Xの請求を一部容認しました。そこで、Yが上告しました。
■裁判所の判断
前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに開示されないという法律上の保護に値する利益を有するのであって、市区町村長が、本来犯罪歴の照会のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏らしてはならないということになるところである。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となっていて、市区町村長に照会して回答を得るのでなければ他に立証方法がないような場合には、裁判所から前科等の照会を受けた市区町村長は、これに応じて前科等につき回答することができるものであり、同様な場合に弁護士法23条の2に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではないが、その取扱には格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件において、Bの照会にCが回答したところ、Xは、京都市中京区役所内の申出により京都弁護士会を照会庁とする照会申出書をBに交付させたので、同弁護士会が本件照会を必要とする理由として、「右照会文書に添付されているAとの訴訟の提出用に中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」とあったにすぎないのであり、このような場合に、市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたるものと解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、Cの本件報告を違法による公権力の違法な行使にあたるとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。
解説
本判決は、プライバシーという言葉を使っていませんが、前科等をみだりに公開されない自由をプライバシー権の1つとして認めたものと評価されています。なお、現在の個人情報保護法の下において、犯罪の経歴(前科)は、特に慎重な取扱いが求められる要配慮個人情報の1つとして規定されています(個人情報保護法2条3項、行政機関個人情報保護法2条4項)。
過去問
前科は人の名誉に直接にかかわる事項であり、前科のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する。(司法書士2022年)
1 ○ 判例は、前科は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するとしています(最判昭56.4.14)。
エホバの証人輸血拒否事件 (最判平12.2.29)
■事件の概要
キリスト教の宗派「エホバの証人」の信者Xは、悪性腫瘍の摘出手術を受けるため国立Y病院に入院したが、その際、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を拒否することを担当のZ医師に伝えた。Y病院では、手術を受ける患者が「エホバの証人」の信者である場合、できる限り無輸血で対応するが、輸血以外に救命手段がない場合には、患者やその家族の同意がなくても輸血をするという方針を採っていたが、その方針をXに伝えていなかった。その後、Zは、Xの手術を実施したが、輸血をしないとXを救うことはできないと判断し、Xの同意を得ずに輸血した。そこで、Xは、Zに対し、自己決定権を侵害したことによる不法行為を理由として、国に対しては使用者責任を理由として、損害賠償を求める訴えを提起した。
判例ナビ
第1審はXの請求を棄却しましたが、控訴審はXの請求を認容したため、国およびZが上告しました。
■裁判所の判断
本件において、Zが、Xの肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合には、そのような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、Xが、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることなく手術を受けることを固く希望しており、輸血を伴わない手術を受け、手術の際に輸血の可能性が具体的に高くなったことがZに知られていた本件の事実関係の下では、Zは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、Xに対し、Yとしてはそのような事態に陥ったときには輸血をするとの方針を採っていることを説明した上で、Yへの入院を継続した上でその下で本件手術を受けるか否かをX自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。
ところが、Zは、本件手術に至るまでの約1か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、Xに対してYが採用していた右方針を説明せず、同人に対して輸血する可能性のあることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、Zは、右説明を怠ったことにより、Xが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人に対して負うべき精神的苦痛を慰謝すべき義務を負うものというべきである。また、国は、Zの使用者として、Xに対し民法715条に基づく不法行為責任を負うものといわなければならない。
解説
本判決は、「輸血を伴う医療行為を拒否する」という意思決定をする権利」が人格権の内容として尊重されなければならないとした上で、輸血に関する医師の説明義務違反によってその人格権が成立するとしました。ただし、医療の最終段階について、患者が「自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権」に由来する明治したものに対し、本判決は、自己決定権に言及しませんでした。
過去問
患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合であっても、このような意思決定をする権利は、患者自身の生命に危険をもたらすおそれがある以上、人格権の一内容として尊重されるということはできない。(公務員2020年)
1× 判例は、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならないとしています(最判平12.2.29)。
性同一性障害者特例法3条1項4号の合憲性 (最大決令5.10.25)
■事件の概要
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)3条1項は、家庭裁判所は、性同一性障害者であって同項各号のいずれにも該当するものについて、性別の取扱いの変更の審判(性別変更審判)をすることができる旨を規定している。そして、特例法3条1項4号(本件規定)は、「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」と規定しているが、本件規定に該当するには、抗がん剤の投与等によって生殖腺の機能全体が永続的に失われている等の事情のない限り生殖腺除去手術(具体的には性別適合手術を受けて戸籍上の性別とは別の性器がある場合は摘出手術)を受ける必要があるとされている。生物学的な性別は男性であるが性別の自己認識は女性であるXは、特例法3条1項に基づき、性別の取扱いの変更の審判(性別変更審判)を申し立てた。
判例ナビ
原審は、本件規定に該当しないとしてXの申立てを却下しました。そこで、Xは、本件規定は、憲法13条、14条1項に違反し無効であると主張して最高裁判所に特別抗告しました。
*通常の不服申立てができない決定・命令に対して、憲法違反を理由として最高裁判所にする不服申立て。
■裁判所の判断
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由は、同条の保障する権利に含まれるものと解される。自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由は、人格権の一内容として尊重されなければならない。単に「身体への侵襲を受けない自由」というが、人格的生存に不可欠なものとして極めて重要である。このような自由を制約するものである生殖腺除去手術は、精巣又は卵巣を摘出する手術であり、身体に対する侵襲を伴い不可逆的な結果をもたらす身体への侵襲であるから、このことをなくして生殖腺除去手術を受けることが強制されない自由に対する重大な制約に当たる。本件規定は、性同一性障害者のうち自らの性別の取扱いの変更により性別変更審判を求める者について、原則として生殖腺除去手術を受けることを前提とする要件を課すものであるのであり、性同一性障害者が自己の意思に反して生殖腺除去手術を受けることを強制されない自由を制約するものにほかならない。しかしながら、本件規定は、性同一性障害者の立場としては生殖腺除去手術を受けない性同一性障害者に対しても、性別変更審判を受けるためには、原則として同手術を受けることを求めるものであるということができる。
他方で、性同一性障害者の性別の取扱いに係る法上の取扱いの変更を受けることは、法的、社会的な諸側面において個人の基本的な人格的生存と結び付いた重要な法的利益というべきである。…。そうすると、本件規定は、治療として生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対して、性別の取扱いの変更という法的利益を享受するために、同手術を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができる。このような制約は、性同一性障害者が一般に治療として生殖腺除去手術を受ける必要が医学的に検討するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないものと解される。
そして、本件規定の目的の合理性を肯定し、目的と手段との間に実質的な関連性があるか否かについては、本件規定が目的の達成のために必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度を衡量して判断されるべきものと解するのが相当である。
そこで、本件規定の目的についてみると、本件規定は、性別変更審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子をもうけることがあれば、親子関係等に関する問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねないこと、並びにこれと生物学的な性別に基づく男女の性別区別されてきた中で急激な変化ではなく漸進的な変化に繋がる措置をとるべきとの配慮から、性別変更審判を受けた者の身体的な性別違和感を緩和するための措置であるとされる。
しかしながら、急激な変化を避けるという社会的な配慮から、性別変更審判を受ける者に生物学的に生殖機能がないことを当然の前提とすると解される。性別変更審判を求める者の中には、自己の身体的性別に違和感を抱きつつも生殖腺除去手術を受ける意思までは有しない者も少なくないと思われるところ、本件規定により子をもうけることを当然の前提とするものであり、生殖腺除去手術を受けた結果として生殖機能が失われたとしても、生殖腺除去手術を受けずに性別変更審判を受けた者との間に問題が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる…。性別変更審判を受けた者が変更前の性別の生殖機能により子をもうけるとは、「女である父」や「男である母」が生ずるという事態が生じ得ることを指し、そもそも平成20年改正により、成年の子がいても性同一性障害者が性別変更審判を受けることになった。「男である母」が存在するという事態が生じ得るところ、そもそも平成20年改正により、成年の子がいる性同一性障害者が性別変更審判を受けることも可能になったのである。「女である父」の存在が肯定されることになったため、現在の法制において、このことにより親子関係等に関わる混乱が社会に生じるかどうかは明らかでない。これに加えて、特例法の施行から約19年が経過し、これまでに1万人を超える者が性別変更審判を受けている中で、性同一性障害者をめぐる社会の理解と関心も広まりつつあり、その社会生活上の問題点を解決するための環境整備に向けた取組等社会の様々な領域における対応も行われていることを考えると、上記の事態が生じ得ることが社会全体にとって速やかで急激な変化に当たるとまではいい難い。
以上検討したところによれば、特例法の制定当時に想定されていた本件規定による制約の必要性は、その前提となる諸事情の変化により低減しているというべきである。
次に、特例法の制定以降の医学的知見の進展も踏まえつつ、本件規定による具体的な制約の態様及びその程度等をみると、医学的に、性同一性障害者の治療として生殖腺除去手術が必須とは考えられておらず、性同一性障害者に対する治療は、個別の性同一性障害者が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることをにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解されるところ…。特例法の制定後、性同一性障害者に対する医学的知見が進展し、性同一性障害者を示す者の示す状況に応じて行われる治療の在り方の多様性に関する議論が一般化して段階的治療という考え方が採られるようになり、性同一性障害者に該当するとしても治療をどのような段階で受ける必要かは当事者によって異なるものとされたことにより、必要と治療を受けるか否かは医学的知見に関連性をもって決定されるものではなくなっているといわざるを得ない。
そして、本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、現時点においては性同一性障害者に対し身体への侵襲を受けない自由を保障して簡易な身体的治療であるホルモン療法と心理療法等により性同一性を自覚した性別に近づいた法上の取扱いの変更を受けるという選択肢を奪うものと解せざるを得ず、また、本件規定の目的を達成するためには、そのような医学的治療によって性別変更審判を受けた者の身体の性別違和感を緩和するための措置であると解するのが相当であるとして、違憲無効とした上で国が損していることを考慮すると、違法という結論にたどり着いているというべきである。
そうすると、本件規定は、上記のような考察に鑑みるとどういう経緯により過剰な制約を課すものに当たる。本件規定による制約の程度は重大なものというべきである。
以上をふまえると、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が低減しており、その程度が重大なものとなっていることなど総合的に勘案して、その制約が必要かつ合理的なものというべきではない。に配慮すれば、必要かつ合理的なものということはできない。
よって、本件規定は憲法13条に違反するものであり、もはや憲法13条に適合するものではないというべきである。
解説
本件は、性別変更審判を受けるために原則として生殖腺除去手術を受けることを求める性同一性障害者特例法3条1項4号(本件規定)の合憲性が争われた事案です。本決定は、身体への侵襲を受けない自由が、人格的生存に関わる重要な権利として憲法13条によって保障されていることを明らかにするとともに、生殖腺除去手術の強制が身体への侵襲を受けない自由に対する重大な制約に当たることを認めました。そして、本決定は、性別の取扱いの変更を受けるという重要な法的利益を享受する権利を行使することを断念するかという過酷な二者択一を迫る深刻な制約を課すものであるとし、本家規定を憲法13条、14条1項に違反しないとしていた従来の判例(最決平31.1.23)を変更して、憲法13条に違反するとしました。
なお、Xは、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」と規定する特例法3条1項5号についても、憲法13条、14条1項に違反すると主張しましたが、この点については、審理を尽くすため本件を原審に差し戻しました。