教育を受ける権利
2025年11月19日
『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日
ISBNISBN 978-4-426-13029-9
ガイダンス
憲法26条1項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定しています。これは、人格の形成発展における教育の重要性を考慮して、教育を受ける権利を人権として保障することを定めた規定です。教育を受ける権利は、立法によって具体化される抽象的な権利であり、本条を受けて、教育基本法、学校教育法の法律が制定されています。さらに、憲法は、子の教育にかかる親の経済的負担を軽くするため、本条2項後段で、「義務教育は、これを無償とする」と規定しています。
旭川学テ事件(最大判昭51.5.21)
■事件の概要
文部省(現文部科学省)は、全国の中学2年、3年を対象とする全国中学校一斉学力調査(学力テスト)を企画し、各都道府県教育委員会に対し、調査結果の資料を報告するよう求めた。北海道教育委員会の要請を受けた旭川市教育委員会が市立の各中学校に学力テストの実施を命じたところ、教職員組合の役員は、学力テスト当日、テストを阻止する目的で旭川市立Y中学校に侵入し、校長等に暴行を加えたため、建造物侵入罪、公務執行妨害罪、共同暴行罪で起訴された。
■判例ナビ
第1審、控訴審ともに、建造物侵入罪と共同暴行罪の成立を認めました。しかし、公務執行妨害罪については、本件学力テストは、教育基本法10条(現16条1項)が規定する教育に対する「不当な支配」に当たるとし、成立を否定しました。そこで、Xおよび検察官双方が上告しました。
■裁判所の判断
1 国がわが国の教育のあり方を決定する権能がそれに帰属するか、それとも、親や教師がそれに帰属するかという2つの立場に対立が見られる。それぞれの立場には一理あるが、どちらの立場にも偏らず、中立的な立場から判断する。
2 子どもの教育は、子どもの成長に対する社会の要請こたえるという側面も有する。そのため、国は、教育内容について、ある程度の決定権を有する。
(2) 子どもは、学校その他さまざまな機会と場所において自己の能力を伸ばし、個性豊かな人間として成長していくために必要な学習をする権利を有する。
(3) 親は、子どもが一人前の人間として成長するために必要な教育をする責務を負う。そのため、親は、子どもの教育について、ある程度の自由を有する。
(2) 教師は、子どもの教育の専門家として、子どもの教育に責任を負う。そのため、教師は、子どもの教育について、ある程度の自由を有する。
過去問
1 X 判例は、学問の自由が教授の自由を含むこと、大学教育においては一定の範囲における教授の自由が保障されることを認めていますが、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは許されないとしています(最大判昭51.5.21)。
一般に、社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべき責務を負う。…
国は、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、それを全く否定することはできない。しかし、…国による教育内容の決定は、無制限に許されるものではなく、教育の目的を達成するために必要かつ合理的な範囲内でなければならない。…
国が教育内容を決定するにあたっては、子どもの教育が、主として、子どもの利益のために、そして、子どもの成長を助けるために行われるべきであるという、教育の本質に反するものであってはならない。
普通教育においては、全国的に一定の水準を確保すべきであるという要請が強く、また、子どもは、未成熟で可塑性があり、特定の思想、世界観、宗教、政治的信条等を教え込まれやすいという特性を有するので、教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されない。
もとより、教師も、一人の国民として、また、教育の専門家として、子どもの教育内容について意見を表明する自由を有するが、それは、あくまでも一般的な国民としての意見表明の自由として保障されるにとどまり、教師という特別の立場に基づいて特別の自由が保障されるものではない。
もっとも、教育は、教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じて行われるものであり、そこには、それぞれの教師の個性を生かした創造的な活動が期待されるべきであるから、国が教育内容を決定するにあたっても、全てを画一的に決定するのではなく、それぞれの教師が創意工夫を凝らすことのできる余地を残しておくことが必要である。
解説
教育内容を決定する権能の所在については、従来から、国家、親、教師のいずれに帰属するかという問題(教育権の所在)について議論されてきました。しかし、本判決は、いずれの説も極端な一面的な見解であるとして、私の説も採用しませんでした。そして、本判決は、教育を受ける子どもの権利を中核として、それぞれの主体(国、親、教師)が、それぞれの役割に応じて、教育内容を決定する権能を有するとしました。そして、それぞれの権能が相互に矛盾、衝突しないように調整されるべきであるとしました。
過去問
1 憲法における学問の自由の保障が、学問研究の自由に止どまらず、教育の自由もこれに含むとすべきであるから、教育の自主性が尊重されるべきである。(公務員2021年)
1 X 判例は、学問の自由が教授の自由を含むこと、大学教育においては一定の範囲における教授の自由が保障されることを認めていますが、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは許されないとしています(最大判昭51.5.21)。
憲法26条1項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定しています。これは、人格の形成発展における教育の重要性を考慮して、教育を受ける権利を人権として保障することを定めた規定です。教育を受ける権利は、立法によって具体化される抽象的な権利であり、本条を受けて、教育基本法、学校教育法の法律が制定されています。さらに、憲法は、子の教育にかかる親の経済的負担を軽くするため、本条2項後段で、「義務教育は、これを無償とする」と規定しています。
旭川学テ事件(最大判昭51.5.21)
■事件の概要
文部省(現文部科学省)は、全国の中学2年、3年を対象とする全国中学校一斉学力調査(学力テスト)を企画し、各都道府県教育委員会に対し、調査結果の資料を報告するよう求めた。北海道教育委員会の要請を受けた旭川市教育委員会が市立の各中学校に学力テストの実施を命じたところ、教職員組合の役員は、学力テスト当日、テストを阻止する目的で旭川市立Y中学校に侵入し、校長等に暴行を加えたため、建造物侵入罪、公務執行妨害罪、共同暴行罪で起訴された。
■判例ナビ
第1審、控訴審ともに、建造物侵入罪と共同暴行罪の成立を認めました。しかし、公務執行妨害罪については、本件学力テストは、教育基本法10条(現16条1項)が規定する教育に対する「不当な支配」に当たるとし、成立を否定しました。そこで、Xおよび検察官双方が上告しました。
■裁判所の判断
1 国がわが国の教育のあり方を決定する権能がそれに帰属するか、それとも、親や教師がそれに帰属するかという2つの立場に対立が見られる。それぞれの立場には一理あるが、どちらの立場にも偏らず、中立的な立場から判断する。
2 子どもの教育は、子どもの成長に対する社会の要請こたえるという側面も有する。そのため、国は、教育内容について、ある程度の決定権を有する。
(2) 子どもは、学校その他さまざまな機会と場所において自己の能力を伸ばし、個性豊かな人間として成長していくために必要な学習をする権利を有する。
(3) 親は、子どもが一人前の人間として成長するために必要な教育をする責務を負う。そのため、親は、子どもの教育について、ある程度の自由を有する。
(2) 教師は、子どもの教育の専門家として、子どもの教育に責任を負う。そのため、教師は、子どもの教育について、ある程度の自由を有する。
過去問
1 X 判例は、学問の自由が教授の自由を含むこと、大学教育においては一定の範囲における教授の自由が保障されることを認めていますが、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは許されないとしています(最大判昭51.5.21)。
一般に、社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべき責務を負う。…
国は、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、それを全く否定することはできない。しかし、…国による教育内容の決定は、無制限に許されるものではなく、教育の目的を達成するために必要かつ合理的な範囲内でなければならない。…
国が教育内容を決定するにあたっては、子どもの教育が、主として、子どもの利益のために、そして、子どもの成長を助けるために行われるべきであるという、教育の本質に反するものであってはならない。
普通教育においては、全国的に一定の水準を確保すべきであるという要請が強く、また、子どもは、未成熟で可塑性があり、特定の思想、世界観、宗教、政治的信条等を教え込まれやすいという特性を有するので、教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されない。
もとより、教師も、一人の国民として、また、教育の専門家として、子どもの教育内容について意見を表明する自由を有するが、それは、あくまでも一般的な国民としての意見表明の自由として保障されるにとどまり、教師という特別の立場に基づいて特別の自由が保障されるものではない。
もっとも、教育は、教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じて行われるものであり、そこには、それぞれの教師の個性を生かした創造的な活動が期待されるべきであるから、国が教育内容を決定するにあたっても、全てを画一的に決定するのではなく、それぞれの教師が創意工夫を凝らすことのできる余地を残しておくことが必要である。
解説
教育内容を決定する権能の所在については、従来から、国家、親、教師のいずれに帰属するかという問題(教育権の所在)について議論されてきました。しかし、本判決は、いずれの説も極端な一面的な見解であるとして、私の説も採用しませんでした。そして、本判決は、教育を受ける子どもの権利を中核として、それぞれの主体(国、親、教師)が、それぞれの役割に応じて、教育内容を決定する権能を有するとしました。そして、それぞれの権能が相互に矛盾、衝突しないように調整されるべきであるとしました。
過去問
1 憲法における学問の自由の保障が、学問研究の自由に止どまらず、教育の自由もこれに含むとすべきであるから、教育の自主性が尊重されるべきである。(公務員2021年)
1 X 判例は、学問の自由が教授の自由を含むこと、大学教育においては一定の範囲における教授の自由が保障されることを認めていますが、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは許されないとしています(最大判昭51.5.21)。