相続放棄と遺産分割協議
2025年11月19日
Q&A 弁護士のための相続税務70
中央経済社
Q: 事業経営を行っていた夫が亡くなりました。相続人は配偶者である 私と長男の2人です。長男に事業を継がせるため、私は死亡保険金300万円を受け取り、相続放棄をしようと思います。相続財産は夫名義の居宅、事業用資産,金融資産のほか銀行借入があります。
A: 相続の放棄には、家庭裁判所に申立てをする相続放棄と、法的手続を経ずに実際には遺産を相続しない事実上の相続放棄があります。銀行借入を一切引き継ぎたくない場合は家庭裁判所に申立てをする相続放棄をする必要があります。相続税の計算における生命保険金の非課税の適用を受けようとする場合は、事実上の相続放棄により自身は財産を取得しないこととする遺産分割協議を行うとよいでしょう。
解説
「相続放棄」という言葉は、民法上の相続放棄と事実上の相続放棄の2通りの意味で用いられることがあります。
(1) 民法上の相続放棄 民法上の相続放棄とは、亡くなった人の遺産について相続人としての地位を放棄することをいいます。法律用語として「相続放棄」という場合には、正式には、民法上の相続放棄を指します。相続放棄をするには、相続の開始を知ってから3か月以内に家庭裁判所に申述書を提出する方法により行わなければなりません(民法915,938)。
相続放棄をすると、被相続人のプラスの財産もマイナスの財産も相続しません。
相続放棄をした人は、初めから相続人でなかったことになります(民法939)。そのため、遺産分割協議に参加する必要はありません。また、代襲相続も認められません。さらに、先の順位の相続人の全員が相続放棄をした場合は、次の順位の相続人に遺産相続の権利が引き継がれます。つまり、被相続人に多額の借入金があり、子の全員が相続放棄を行えば、放棄をした相続人である子に債務が及ぶことはありませんが、第2順位の被相続人の直系尊属が相続人になり、この直系尊属がいないか、相続放棄をすると、第3順位の兄弟姉妹に引き継がれることになります。 なお、一度相続放棄の手続をすると、撤回はできません (民法9191)。
(2) 事実上の相続放棄
事実上の相続放棄とは、上記(1)の法律上の手続による相続放棄を行うことなく、実際には相続財産を取得しないことをいいます。 遺産分割協議は、「遺産に属する物又は権利の種類及び性質,各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする。」(民法906) ことから、諸般の事情を考慮して法定相続分があるにもかかわらず、一切の財産を取得しない協議をすることができます。このため、遺産分割協議の際に、他の相続人に財産を取得しない旨を伝え、自身の相続分をゼロとする遺産分割協議書を作成します。一般的には、これを事実上の相続放棄といいます。
なお、登記実務においては、相続人が生前に被相続人から特別受益を受けており、法定相続分を上回っているものとして、特別受益者の相続分が実質的にないことを特別受益者自身が認め、署名・捺印した「相続分がない旨の証明書(相続分のないことの証明書)」を作成し、この証明書に印鑑証明書を添付して、他の相続人への単独相続登記申請などの相続手続をすることも行われています。しかし、後日、真に財産を取得しない意思であったものか、登記手続の便法にすぎなかったのか、争われることがあります。
そのほか、自己の相続分を他の相続人に譲渡することでも同様の目的を達することができます(後記39参照)。共同相続人間の相続分の譲渡は、実質的に相続分の割合の変更ですから、自身の相続分を譲渡した相続人は、相続財産を取得することがなくなり、その相続分を譲り受けた相続人の相続割合が増加します。 なお、相続分を譲渡した人の相続 (譲渡人が被相続人となる相続)において、譲受人が譲渡人の相続人である場合、この無償譲渡は特別受益となる生前贈与に当たり得るとされています。
(3) 事実上の相続放棄のメリットとデメリット
① メリット
遺産分割協議書による事実上の相続放棄は相続人間の合意で成立しますので、家庭裁判所での法的な手続は不要です。また、民法上の相続放棄は相続開始があったことを知った時から3か月以内に家庭裁判所に申し立てなければなりませんが、事実上の相続放棄に期限はありません。 また、上記(1)のとおり、民法上の相続放棄を行うと、次順位の相続人が法定相続人となることがありますが、事実上の相続放棄ではそのようなことはありません。
② デメリット
民法上の相続放棄をすると、プラスの財産もマイナスの財産(債務)も承継しませんが、被相続人に借入金などの債務がある場合、事実上の相続放棄をしても、債権者には対抗できません。民法上の相続放棄を行わない限り、法的には相続人の地位にあるためです。 なお、事実上の相続放棄は、遺産分割協議を行ったものですから、「相続の単純承認」事由に該当しますので、事実上の相続放棄を行った後に民法上の相続放棄はできません。
(4) 課税上の留意点等
相続税法上,「相続人」という場合は、相続を放棄した人及び相続権を失った人を含みません(相法3①)。したがって、相続を放棄した人及び相続権を失った人が取得した保険金については、非課税の適用を受けることはできません(相法12①五)。ここでいう相続を放棄した人とは、民法上の相続放棄(家庭裁判所に申述書を提出して相続を放棄するもの)を行った人をいい、事実上の相続放棄を行った人を含みません。
一方、相続人は、民法上の相続放棄と事実上の相続放棄にかかわらず、放棄をした相続人を含む相続人の数に応じた非課税枠の金額や基礎控除額を利用することができます(相法12①五、15②)。この非課税枠の金額や基礎控除額(3,000万円+600万円×法定相続人の数)は、相続放棄がなかったものとして考えますので、相続税の総額は変わりません。また、配偶者が相続放棄をしても、配偶者に対する相続税額の軽減の適用を受けることはできます(相基通19の2-3)。
(5) 本事例における相続放棄
民法上の相続放棄又は事実上の相続放棄にかかわらず、基礎控除額は4,200万円(3,000万円+600万円×2人)です。また、配偶者に対する相続税額の軽減を使うこともできます。民法上の相続放棄を行うと、生命保険金等の非課税枠が利用できないことから、借入金の有無・多寡及び誰がその借入金を負担するのか等を検討の上、民法上の相続放棄をするのか、事実上の相続放棄をするのか決定するとよいでしょう。
A: 相続の放棄には、家庭裁判所に申立てをする相続放棄と、法的手続を経ずに実際には遺産を相続しない事実上の相続放棄があります。銀行借入を一切引き継ぎたくない場合は家庭裁判所に申立てをする相続放棄をする必要があります。相続税の計算における生命保険金の非課税の適用を受けようとする場合は、事実上の相続放棄により自身は財産を取得しないこととする遺産分割協議を行うとよいでしょう。
解説
「相続放棄」という言葉は、民法上の相続放棄と事実上の相続放棄の2通りの意味で用いられることがあります。
(1) 民法上の相続放棄 民法上の相続放棄とは、亡くなった人の遺産について相続人としての地位を放棄することをいいます。法律用語として「相続放棄」という場合には、正式には、民法上の相続放棄を指します。相続放棄をするには、相続の開始を知ってから3か月以内に家庭裁判所に申述書を提出する方法により行わなければなりません(民法915,938)。
相続放棄をすると、被相続人のプラスの財産もマイナスの財産も相続しません。
相続放棄をした人は、初めから相続人でなかったことになります(民法939)。そのため、遺産分割協議に参加する必要はありません。また、代襲相続も認められません。さらに、先の順位の相続人の全員が相続放棄をした場合は、次の順位の相続人に遺産相続の権利が引き継がれます。つまり、被相続人に多額の借入金があり、子の全員が相続放棄を行えば、放棄をした相続人である子に債務が及ぶことはありませんが、第2順位の被相続人の直系尊属が相続人になり、この直系尊属がいないか、相続放棄をすると、第3順位の兄弟姉妹に引き継がれることになります。 なお、一度相続放棄の手続をすると、撤回はできません (民法9191)。
(2) 事実上の相続放棄
事実上の相続放棄とは、上記(1)の法律上の手続による相続放棄を行うことなく、実際には相続財産を取得しないことをいいます。 遺産分割協議は、「遺産に属する物又は権利の種類及び性質,各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする。」(民法906) ことから、諸般の事情を考慮して法定相続分があるにもかかわらず、一切の財産を取得しない協議をすることができます。このため、遺産分割協議の際に、他の相続人に財産を取得しない旨を伝え、自身の相続分をゼロとする遺産分割協議書を作成します。一般的には、これを事実上の相続放棄といいます。
なお、登記実務においては、相続人が生前に被相続人から特別受益を受けており、法定相続分を上回っているものとして、特別受益者の相続分が実質的にないことを特別受益者自身が認め、署名・捺印した「相続分がない旨の証明書(相続分のないことの証明書)」を作成し、この証明書に印鑑証明書を添付して、他の相続人への単独相続登記申請などの相続手続をすることも行われています。しかし、後日、真に財産を取得しない意思であったものか、登記手続の便法にすぎなかったのか、争われることがあります。
そのほか、自己の相続分を他の相続人に譲渡することでも同様の目的を達することができます(後記39参照)。共同相続人間の相続分の譲渡は、実質的に相続分の割合の変更ですから、自身の相続分を譲渡した相続人は、相続財産を取得することがなくなり、その相続分を譲り受けた相続人の相続割合が増加します。 なお、相続分を譲渡した人の相続 (譲渡人が被相続人となる相続)において、譲受人が譲渡人の相続人である場合、この無償譲渡は特別受益となる生前贈与に当たり得るとされています。
(3) 事実上の相続放棄のメリットとデメリット
① メリット
遺産分割協議書による事実上の相続放棄は相続人間の合意で成立しますので、家庭裁判所での法的な手続は不要です。また、民法上の相続放棄は相続開始があったことを知った時から3か月以内に家庭裁判所に申し立てなければなりませんが、事実上の相続放棄に期限はありません。 また、上記(1)のとおり、民法上の相続放棄を行うと、次順位の相続人が法定相続人となることがありますが、事実上の相続放棄ではそのようなことはありません。
② デメリット
民法上の相続放棄をすると、プラスの財産もマイナスの財産(債務)も承継しませんが、被相続人に借入金などの債務がある場合、事実上の相続放棄をしても、債権者には対抗できません。民法上の相続放棄を行わない限り、法的には相続人の地位にあるためです。 なお、事実上の相続放棄は、遺産分割協議を行ったものですから、「相続の単純承認」事由に該当しますので、事実上の相続放棄を行った後に民法上の相続放棄はできません。
(4) 課税上の留意点等
相続税法上,「相続人」という場合は、相続を放棄した人及び相続権を失った人を含みません(相法3①)。したがって、相続を放棄した人及び相続権を失った人が取得した保険金については、非課税の適用を受けることはできません(相法12①五)。ここでいう相続を放棄した人とは、民法上の相続放棄(家庭裁判所に申述書を提出して相続を放棄するもの)を行った人をいい、事実上の相続放棄を行った人を含みません。
一方、相続人は、民法上の相続放棄と事実上の相続放棄にかかわらず、放棄をした相続人を含む相続人の数に応じた非課税枠の金額や基礎控除額を利用することができます(相法12①五、15②)。この非課税枠の金額や基礎控除額(3,000万円+600万円×法定相続人の数)は、相続放棄がなかったものとして考えますので、相続税の総額は変わりません。また、配偶者が相続放棄をしても、配偶者に対する相続税額の軽減の適用を受けることはできます(相基通19の2-3)。
(5) 本事例における相続放棄
民法上の相続放棄又は事実上の相続放棄にかかわらず、基礎控除額は4,200万円(3,000万円+600万円×2人)です。また、配偶者に対する相続税額の軽減を使うこともできます。民法上の相続放棄を行うと、生命保険金等の非課税枠が利用できないことから、借入金の有無・多寡及び誰がその借入金を負担するのか等を検討の上、民法上の相続放棄をするのか、事実上の相続放棄をするのか決定するとよいでしょう。